『三つのエコロジー』

未読山の中から、フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』を読む。杉村昌昭の訳が平凡社ライブラリーに収められている。

私は、いわゆる現代思想の社会哲学の本を読むことはとても少ないけれども、たまに読むと(たまに読むからこそ、なのかもしれない)、インスピレーションを受けることや、心に沁みる概念を見つけることが多い。この本もその一冊。

不正確なまとめになってしまうけれども、エコロジーを「詩」が持つ美の創造とつなげて考えて、それを、資本主義世界と、ポスト・フロイト派の主体性の理論の背景の中で考えるという壮大な理論である。私は、この手の理論書を読みなれていないので、敬遠しがちだけれども、いくつか、心に響いて納得できる議論があった。例えば、詩がもつ言葉の繰り返し(リフレイン)の機能を取り上げている箇所が、とてもよかった。

詩にとって大切なのは、メッセージを伝達することや、自己をなぞらえるモデルを供給することではなく、マスメディアが作り出すカオスの渦中に、一貫性と持続性を獲得できる「実在」を作り出すこと、あるいは人々が主体性を持つことができる「実在の領土」を得ることである。そのときに、時間は、過ぎ去るのを受身的に耐えるものではなく、行動をしかけたり、方向付けたり、分けて区切りをつけたりする、質的な変化の対象となる。これを通じて、それまでいっしょくたになっていたり、輪郭がぼけていた存在を、新たに分けて明確にすることができる、新しい触媒としての場所を作り出すのだという。

もちろん私にはうまく説明できないけれども、この「実在の領土」を作り出す感覚と、エコロジーの感覚が、深い関係を持っているというのは、なんとなく分かる。詩作にヒントを得た新しい形で個人が主観性を生産できる社会になると、環境問題や資本主義の暴走の問題を解決する鍵になるというのは、現実的に言うと精神分析にかぶれたフランスのインテリの誇大妄想というしかないけれども、そう考えると少なくとも楽しいし(笑)、あと、私自身、個人的に納得した。