北米・カナダの感染症

必要があって、17世紀から19世紀の北米・カナダの感染症を論じた書物を読みなおす。文献は、Hackett, Paul, A Very Remarkable Sickness: Epidemics in the Petit Nord, 1670-1846 (Winnipeg: University of Manitoba Press, 2002).

16世紀以降、ヨーロッパ人と接触するようになった中南米の原住民が、天然痘をはじめとするユーラシアで発生した感染症でなぎ倒されたことは有名だし、このブログでも、少なくとも20回くらいは記事にした(笑)アズテックやインカのような広域を結ぶ帝国組織があるような高度な文明・高い人口密度が災いして壊滅的な打撃をこうむった中南米に対し、北米の原住民は人口密度もはるかに低く、帝国はもちろん国家と呼べるような組織もなかったのが幸いして、感染症そのもののダメージは低かったといわれているが、詳しいことは分かっていなかった。

スペリオル湖の北にプティ・ノール(the Petit Nord)と呼ばれていた地域がある。北米の先住民(いわゆるインディアン)がまばらに居住していた。現在のケベックや、モントリオールがあるあたりも含んでいた。この地域をとりあげて、17世紀以降、世界の各地域が疾病プールの中に組み込まれていく「病原体による世界統一」(ル・ロワ・ラデュリー)のメカニズムを検討したのが本書である。本書は、病気のことに触れてみた歴史家の仕事ではなく、疾病地理学のテクニカルな議論を理解してそれを発展させたもので、直接のヒントがいくつもあった。

一番大きなヒントは、gateway population という概念だった。カナダの感染症は、基本的にヨーロッパからもたらされたものであるが、プティ・ノールにおいては、天然痘や麻疹が小児病化することはついになかった。(これを、疾病地理学の専門用語では、バートレットのタイプII 人口にならなかった、という。)その理由として、いったん天然痘が流行すると、人口のかなりの部分に免疫ができるので、外部からの感染の機会があったとしても、「集団免疫」がはたらく。しばらく時間がたち、あらたな出生によって感染可能者が増え、外部からの感染を定着できるようにならないといけない。そう考えると、この、外部からの感染を受け入れ、そこで定着させる(これを初期定着という)地域 - これをゲート地域(gateway)と呼ぶ - の重要性が浮かび上がってくる。このゲート地域は、感染をただ受け入れる・侵入させるのではなく、そこで一度定着させるという機能を持つのだ。だからこそ、このゲート地域の人口などが問題になるのだ。 

日本は、明治にいたるまで、外国との交易の窓口の中心にあたる地域と、人口と産業の中心が別々だった国である。(現在でも、成田と東京都心は非常識なくらい離れている。)ヨーロッパだと、イギリスにおいては、両者はロンドンで一致し、アメリカの東海岸においても、ニューヨークは二つの機能を持っている。