古代から近代のマラリア

必要があって、マラリアのコンパクトな歴史を読む。短いけれども、マラリアの歴史について素晴らしい仕事を発表してきた実力者が書いたもので、事例の選び方とかその説明の仕方とか、ほれぼれするような鋭さがある。文献は、Packard, Randall M., The Making of a Tropical Disease: a Short History of Malaria (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2007). これはホプキンスから出ている「病気の伝記」シリーズの一冊。ちなみに、オクスフォードも同じような「病気の歴史」シリーズを出す予定だと聞いている。

マラリアという病気がアフリカで発生したことは疑いない。アフリカで誕生したホモ・サピエンスは世界中に広まったが、マラリアはやはり世界中というわけにはいかなかった。確かにロシアやシペリアでマラリアが発生したこともあったが、マラリアの疫学の重心はやはり熱帯地方にあった。

熱帯地方もそうだが、温帯地方への伝播は、農業による環境変化が直接の原因となる。そして農業形態を変化させるのは、しばしば社会経済的な力である。そのような例は、現在のマラリア問題を理解する参考にもなるし、歴史学者が好きな話題だから、インテンスに研究され、この書物でも紹介されている。例えばサルディニアでは、502BCEにカルタゴが侵入したときに、青銅器時代の牧畜を主としていた原住民は高地に避難し、低地で農耕が始められたときに、マラリアの流行が始まった。森林を伐採して洪水がおきやすく、沼地ができやすくなったことも、サルディニアをマラリア浸淫地にするのに貢献した。長く20世紀にいたるまでマラリアで悪名高かったローマのカンパーニャ地方は、男子労働者をポエニ戦争などの兵役に取られて農耕がおろそかになった土地が放棄されることによって、灌漑や排水がおろそかになって沼地化したのがマラリア地になった原因だった。イギリスの南東部は、16世紀以降、オランダから技師がきて干拓の方法が伝えられ、海岸沿いの湿地を農地・牧草地にすることが進められて、汽水域地帯となってマラリア地となった。この灌漑・排水の方法がさらに進められ、沼地の排水が完成に向かう18世紀には、マラリアはこの地から後退した。このように、農業開発の初期にはマラリアが生まれ、その開発がさらに進展すると、マラリアが後退するというパターンを、現在の先進国がたどったのに対し、発展途上国では、いまだにこのパターンが広まっていない。

日本もこの先進国パターンに入るのだろう。調べれば、きっと面白いことが沢山あるのだろうな。

面白い事実を一つ。スペインは11世紀までマラリアがなかったが、米作を導入してマラリアが広まった。米は、基本的に沼地で育てる作物だから、当然である。アラゴンの王様は、14世紀に、病気が広まらないように、米作を禁止したそうだ。