『方忌みと方違え―平安時代の方角禁忌に関する研究』

必要があって、方忌みと方違えについての研究書を読む。文献は、ベルナール・フランク『方忌みと方違え―平安時代の方角禁忌に関する研究』(東京:岩波書店、1989)フランス人が書いた平安の忌みについての研究書。

平安時代には仏教と神道以外にも、中国起源の「陰陽道」が信仰されていた。陰陽道は、人事と宇宙の運行の相互関係の把握に基づいて、観察される星の「しるし」にあわせて人間の行動を調整して、不利益を避けるものであった。これは律令国家の役所の一つ「陰陽寮」で行われた公的な知的営みであり生活技術であった。9世紀のはじめには、「日の吉凶を占う人は虚しく伝え、千の妨げを輻輳する。占いをする人は妄り(あやまり)を告げる。」と述べて、天皇は星占いによる忌みの過度な流行を防ごうとしたが、高官たちは、男女が会うこと、農夫が稼ぐことは、重要であり国家の礎である。これを物の情にしたがって行うことが必要だから、星占いを信用している。11世紀の末になると、この思想は、ある程度は一般大衆に広まったと考えられる。

方忌みの体系のなかで、三種類の忌むべき方向がある。1) 誰にとっても永久に凶の方角(鬼門)、2) 誰でも一生のうち何年かは凶となる方角(絶命)、そして、3) 一時的・周期的にすべての人にとって凶となる方角、である。我々が平安時代の文学を通じて馴染み深いのは、3) の方忌みである。これが、一時的・周期的に凶になるのは、星が回転運動をするからである。回転する星(遊行神)はぜんぶで五つあって、北極星と関係が深い「天一」、金星である「太白」、金星であるがはっきりとした個性を持っている「大将軍」、それから「金神(こんじん)」「王相(おうそう)」である。このような神が、行程の宿泊地にあるたびに、それは一時的な方忌みを作り出す。これを「方塞がり」と呼んでいた。だから、その方角に向かうことは、忌まれなければならない。また、大将軍・金神・王相は、「犯土」といって、地面を掘り返したり、造作や修繕をしたりすることも忌みの対象とした。