南宋の疾病

必要があって、中世中国の揚子江流域における疾病を論じた論文を読む。文献は、岡元司「疫病多発地帯としての南宋期両浙路-環境・医療・信仰と日宋交流」『東アジア海域交流史』第三号(2009)45-64.

マクニールは『疫病と世界史』の中で、中国の南と北が、疫病的に対比されることを指摘している。中国の揚子江領域は低湿で亜熱帯の気候といえる場所が多く、黄河流域の寒冷で乾燥した地域に較べて病原微生物が多い。それゆえ、揚子江流域はマクニールの言葉で言うところの「ミクロ寄生」の負荷が大きく、人が病気になりやすかったので、開発が遅れたという有名なロジックである。

この論文は、マクニールのモデルを確認している部分と、そのことがどんな意味を持ったのかということを論じる部分がある。まず、中国の南宋期に、首都が臨安に移動し、華北から大量の移民が流入した時代の疫病の様子を調べている。まず、隋唐の時代から上昇を始めた浙江省の疫病の発生率は、宋の時代に入ると群を抜いて多くなる。(これは、古代・中世の疾病史では標準的な、年代記などの記述が多くなるというラフな方法で取られたデータに基づいているが、そのあたりは仕方がない。)より小さな地域でいうと、海や湖に面した低地に多い。これは、都市については、建物などが建てられて河川の流れが悪くなり、浚渫もままならないので、水がよどんで汚いものがたまり、瘴気が発生するからであるという説が、同時代の複数の証言によって確かめられている。