公共圏概念とイギリス史

いただいた書物のうちの論文を一本を読む。大野誠編『近代イギリスと公共圏』(京都:昭和堂、2009)ジョアンナ・イニス「イギリス史研究における公共性概念の登場」大野誠編『近代イギリスと公共圏』(京都:昭和堂、2009), 3-46.

他の病気もそういう側面はあるが、精神病とその治療においては、公的な力と私的な力が複雑に錯綜して対立して、精神医療の構造を決めるほど大きな働きをする。1800年以降のイングランドの精神医療の基本的な姿を決定したのは、「ひそかに行われていた精神病患者の虐待を公的な問題にする」、スキャンダルの暴露と、その虐待がおきないような法的・制度的な形態を作り上げることであった。水準も問題の性格もまったく違うが、感染症においても、この公的な力と私的な力の対立はあらわになっていて、明治の言葉で言うと「患者の隠蔽」ということは常に問題になっている。

で、公共性・公共圏の概念だけれども、ハーバーマスがこの概念を使った理由と、それが歴史家を含めて学者たちに魅力があった理由は、この論文でイネスも書いているように、自律的に理性を使った自由な判断をして「公論」の形成に参加できる「公共性」の概念が、近代化に重要であったからであることは疑いない。人は伝統や社会や出自や宗教やイデオロギーなどにがんじがらめにされていてそれから自由になることはできないという、強力で正当な反論はもちろんあるが、それから自由になろうとしている人と、その呪縛と制限に進んで身を投げている人は、明らかに違う。その意味で、「公共性」というのは、ある理念を志向させる概念装置であり、そこにこれからの社会が向かうべき姿のヴィジョンを投影させることができる概念であった。そこが、歴史を分析するツールとしてははるかに具体的でクリアだけれども、これからの社会的なヴィジョンを作り出す装置としては、もう仕事を終わって静かな老後に入らせてあげたい「階級」が持たない魅力であった。

一つ、ハーバーマスの公共圏には、情報交換の領域が含まれていないという指摘があった。ちょうどいま感染症と情報のことを考えていたので、はっとした。