加賀藩の麻疹

昨日と同じ著者の、麻疹の研究を読む。文献は、前川哲朗「藩政期村方における疾病と医療活動」『市史かなざわ』10(2004), no.3. 27-47. 

江戸時代に天然痘は小児病化していたが、麻疹はいまだに平均すると20年間隔で襲来する病気だった。麻疹が常在化して小児病になるのは、明治20年代以降になる。このような襲来型の病気だと、罹患可能者がたくさんいるから、感染の連鎖が途切れにくく、一つの流行が全国に広がりやすい。だから、加賀藩の麻疹流行は、江戸の流行とほとんど一致しているという。これは安心した。 

享和3年(1803)、28年ぶりの麻疹の流行があったとき、ある村では、人口630人中、369人が罹患、うち(たぶん、罹患者のうち、ということだと思う)死亡が43人であった。致死率12%はやはり高いけれども、「疱瘡は器量定め、麻疹は命定め」といわれて、天然痘よりも恐れられるというわけではない。

ちなみに、その村の人口の6割近くが罹患したことになる。前回の流行で村の人口がすべて罹患して(これはありえることである)、移住などによる出入りがなかったと仮定すると(これもありえそうだけど、どうだろう?)、28歳以下の人間が6割いたことになる。