遺伝の概念史

未読山の中から、遺伝の概念史の論文を読む。文献は、Pearson, Roger, “The Concept of Heredity in the History of Western Culture: Part One”, The Mankind Quarterly, 35(1995), no.3, 229-256.

Herrnstein と Murray が1994年に出版した『ベル・カーヴ』という書物は、アメリカで激しい論争を呼んだ。私はこの書物を読んでいないし、ましてや論争の概略についての知識はないが、「正規分布曲線」という名称が示すように、人間の知性は生まれたときに不平等に分配されており、これは遺伝に関係があり、そして人種とも関係があるという主張をした書物である。(この部分、読んでいないので不正確かもしれません。)たとえばS. グールドのベストセラー『人間のはかり間違い』は、『ベル・カーヴ』を激烈に批判した新しい序文をつけて再版されている。

この論文は、『ベル・カーヴ』を擁護する書物である。『ベル・カーヴ』が依拠している論文の多くは、The Mankind Quarterly という雑誌に掲載され、雑誌も批判されたそうで、その雑誌の編集長が、『ベル・カーヴ』とThe Mankind Quarterly の批判者に応えるという動機で書かれている。その動機そのものは、何の問題もないと私は思う。しかし、この論文は、歴史の論文であり、それとしてみると、あまりにナイーヴであり、幼稚であり、基本的な歴史の事実に反していることも間違いない。

基本的な理論立てとしては、科学的な真理として、人間の知的不平等とその遺伝を研究する人々がいて、それに対して、その真理を、政治的・宗教的な動機で抑圧する人々がいるという図式である。前者には、プラトンをはじめとするギリシアの自由で偉大な思想家たちがいて、後者は、神の前の平等を信じるキリスト教や、共産主義などがある。こういった思想は真理を抑圧するだけでなく、実際には偽善的であって、裏では特権の世襲を認めている。現代の教室で教えられている人間の生物学的な平等説も、この真理を抑圧する動きであり、この雑誌を中心に、生物学的な不平等説を支持するデータが集まっているという。 

この道具立て―真理の探求者と、それを抑圧する政治勢力がいる―という概念装置で、ある科学観念の2000年間の歴史を書くことができると、本気で信じているのだろうか? 人間社会は、そんなに単純だと、どうやったら信じることができるのだろうか? 自分の周りと、何よりも、自分自身を見つめて、事態がそんなに単純だと思うとしたら、申し訳ないが、それは、高等教育を受けなおしたほうがいい。 

この論文は、いろいろな使い方ができる。あざけるような使い方はするべきではないだろうし、この論文で、『ベル・カーヴ』擁護派を代表するのは、たぶん間違っている。(論争相手の議論を、その最も強力で説得力がある形で理解し、場合によってはオリジナルよりも強い形にしたうえで、その最強ヴァージョンと戦うというのが、学者としてあるべき論争だと私は信じている。)それよりも、私は、この論文に強烈に現れている、科学者が社会から阻害されているという意識のほうが気になった。