ベッドトリック 1

少しずつ読むことにしている、世界の艶笑譚の文芸評論を取り出して読む。文献は、 Doniger, Wendy, The Bedtrick: Tales of Sex and Masquerade (Chicago: University of Chicago Press, 2000).

ベッドトリックBedtrickというシェイクスピア学者たちが使う用語があるそうで、セックスをする相手を間違えたり、だれかになりすましてセックスしたり、あるいは相手をすりかえてみたりする、シェイクスピアの喜劇によく出てくる主題がある。この種のエピソードが多用されるのはシェイクスピアに限らず、ボッカッチョの『デカメロン』はもちろん、古代のインドの神話から現代の小説にいたるまで、フィクションの中に頻出する主題だそうだ。それらを集めて、鋭い分析とウィットに富む筆致で自在に論じた、知的な艶笑譚といっていい。これは、読み飛ばすのはちょっともったいないから(笑)、時間があるときに少しだけゆっくり読む本の棚において、時々読んでいる。

カサノヴァの回想録で語られているエピソード。カサノヴァはある若い男爵夫人に恋をして、彼女の知り合いの年増女をだまして手引きをさせ、まんまと男爵夫人をものにすることに成功した。男爵夫人は、それはそれは美しく、一方で年増女というのは、黄疸のような顔色にごつごつして悪意がある顔貌であった。だまされたと知った年増女は怒って、復讐を誓ったが、カサノヴァは気にもとめなかった。しかし、彼が二回目に男爵夫人の寝室に忍んでいくとき、その復讐が実行される。その年増女は男爵夫人になりすまして寝室で待っていて、そこに忍んでいったカサノヴァはいい気になって二時間も快楽に身をゆだねた。翌朝、男爵夫人からどうして夕べは来なかったのかとなじられたカサノヴァは、はじめて事情をさとる。あの怪物のような年増女で寝たことが気味悪いだけでなく、彼を打ちのめしたのは、自分がその女と寝て、いくら闇で相手が見えず、口を閉ざしていたとはいえ、男爵夫人その人だと思い込んで、これまでの人生の中で最高の獲物と有頂天になっていたことである。あれほど違いがある女ならば、「触れば、分かったはずなのに」とカサノヴァは打ちのめされる。さらに追い討ちをかけるように、年増女からカサノヴァをあざける手紙がきて、ついでに、カサノヴァは女に梅毒をうつされたことも知る。

この本によると、カサノヴァの脳裏をかすめたのは、かつては人をあざむきだまし続け、別人になりすましては、片っ端から女と寝ることを続けてきた自分が、とうとう人にだまされて思っていない女と寝るのか・・・という「自分も老いたのか」という不安だったそうで、そう考えると、その年増女から移されたのは、梅毒というよりも、老いなのかもしれない。

私のまとめだと、あまりうまくないけれども、実際は、もっと洒落て知的な艶笑譚の評論ですよ。皆様も、ベッドで読む一冊にどうぞ(笑)