『気候変動の文明史』

必要があって、日本の気候変動の歴史を説いた一般向け書物を読む。文献は、安田喜憲『気候変動の文明史』(東京:NTT出版、2004)

気候の歴史というのは、その基礎となるデータを得る方法が、炭素同位体だとか考古学的分析だとか、基本的に理系の方法なので、理系の人たちが大活躍する数少ない歴史の領域で、とても喜ばしいことである。ただ、この著者のように、気候データと社会の間に単線的な因果関係を想定して喜んでしまう傾向も強い。 しかもそれをジェンダー論に適用し、「温暖期には女性が活躍して、女王国が出現し、生きとし生けるものの命が輝く「美と慈悲の文明」の世紀が出現し、寒冷期には男性中心の「力と闘争の文明」が台頭し、戦争や血生臭い武力による支配が横行する」というような話を真顔でされると、多くのプロの歴史学者は、「困ってしまう」というのが正直なところである。

これほどでなくても、気候の歴史は、気候決定論で説明できることを強調する傾向がある。私自身は気候の歴史については全くの素人だけれども、しばらく前から、気候環境を含めた自然の変化に対する人間の文明の「バッファ」ということを意識しようとしている。 文明は、自然の変化に規定されると同時に、それを吸収する複雑な仕組みの「バッファ」を持っている。 歴史の中で変わってきたのは、気候変動だけではなく、このバッファの厚みと仕組みなのではないかと思う。