『日本梅毒史の研究』

必要があって、江戸時代から開国期を中心に、日本の梅毒の歴史を論じた論文集を読む。文献は、福田眞人・鈴木則子編集『日本梅毒史の研究』(京都:思文閣、2005)。

梅毒の起源については、新大陸起源説や突然変異説などのあいだで色々と論争があるが、1495年にヨーロッパで大流行があったことは間違いない。インドでの最初の記述は1498年、中国は1505年で、日本の最初の梅毒と特定できる記述は1512年である。翌年には甲斐の国での流行の記述があるから、非常に速かったといっていい。

近代以前に、梅毒に対する社会的な態度の変遷があったと論じた鈴木則子の論文が面白い。議論の当否はともかく、面白い事例を紹介している。それは、医学書の中で患者の氏名を現すか・伏せるのかという問題である。梅毒の初期に書かれた間直瀬道三の書物では、患者の氏名が現れているけれども、1632年に中国で出版された梅毒専門書では、患者の名前は伏せられている。18世紀の吉益東洞の書物では、人々が隠悪する病気として、癲狂とらい病を上げていて、それに加えていくつかの病気については氏名や住所を挙げないとしている。そのいくつかの病気の中に、梅毒がはいっている。18世紀には、匿名病とでもいうべきものがいくつかあって、精神病、ハンセン病、梅毒がその中に入っているという。

別の論文で、江戸期の梅毒の病因論が紹介されていた。親から受け継ぐ「胎毒」、食べ物にあたる「食毒」以外に、有名な江戸の「感染」説というものがある。これは実体論的な感染説ではなくて、遊女が交合して、その時に情を移すことをしないので、結局は満たされぬ思いが鬱屈して「湿」となってついにはその「湿」が梅毒になって、それに触れるとうつるのだという説である。 18世紀のヨーロッパでは、マスターベーションは想像力の世界の刺激だから主に精神の病気になるという説があったが、この「本当にイカないセックス」は梅毒を生むという説は、それと面白い対照になっている。