医学のシルクロード

必要があって、鎌倉時代の医者、梶原性全(かじわらしょうぜん)についての研究論文を読む。文献は、Goble, Andrew Edmund, “Kajiwara Shōzen (1265-1337) and the Medical Silk Road: Chinese and Arabic Influences on Medieval Japanese Medicine”, n Andrew Edmund Goble, Kenneth R. Robinson, and Haruko Wakabayashi eds., Tools of Culture: Japan’s Cultural, Intellectual, Medical, and Technological Contacts in East Asia, 1000-1500s (Ann Arbor, Michigan: Association for Asian Studies, 2009), 231-260.

梶原性全は、『頓医抄』『万安方』などの大部な医学テキストを著述した鎌倉時代の日本医学の興隆を代表する医者である。この医者の仕事を、「医学のシルクロード」という視点で、当時興隆していた中国医学はもとより、アラブ・イスラム圏や、東南アジア諸国などの医学・医薬とつながった医学文化圏の形成という視点で、解釈した論文である。

ポイントは三つ。まず、梶原は、当時の中国で出版(印刷されたという意味での出版であった)された医学テキストを継続的に収集し、それを取り込んでいること。第二に、病気に対する治療も複雑になり、多くの薬材を利用して薬を作り、それを多く・頻繁に与える多剤療法を推進しているということ。第三に、当時のインド洋・東南アジアの貿易を背景にして、タイのカルダモンやインドネシアの丁子、ボルネオの樟脳などの、それまでの日本の医学では使われていなかった新しい薬材が用いられ、香料について洗練された使用法を知っていたアラビア医学の処方が、中国医学を経由して導入されたということである。

この時期には、医学の理論や実践の点でも、医薬についても、印刷や貿易という知識とモノの流通の変化を背景にして、エキサイティングな時代に入っていたということだろう。この現象を「シルクロード」と呼ぶことが適切かどうかは分からないけれども。