満州移民と寒帯気候馴化

必要があって、寒帯気候馴化についての論文を読む。文献は、戸田正三「満州移民と其気候慣化策の研究趣旨及研究要項」『関西医事』No.164(1934), 39-40; 三浦運一「我国民の満蒙移民と風土適合問題」 (1)-(2) 『関西医事』No.171(1934), 15-16; No.172(1934), 16-17. 著者は、それぞれ、京都帝国大学満州医科大学の衛生学の教授。

太平洋戦争の開始とともに日本軍の南方作戦が成功し、占領した東南アジア・フィリピンなどを中心とする地域に日本から植民が行われることになった。このときに話題になった熱帯気候馴化の問題をしばらく研究している。この話を研究会などですると、ほぼ例外なく必ず質問されるのが、もうひとつの移民先というか、移民の規模としてははるかに大きかった満州は寒かったが、寒帯移民についてはどうだったのかという問題である。寒帯移民研究はもちろん行われていた。寒帯移民についてコンパクトに論じたこの二つの論文をまとめておく。

満州は、総じて大陸性寒冷気候がきびしい土地で、そこに移住しようとする日本人は困難に直面することが予想されていた。また、満州事変以降に日本人が移民しようとしていたのは、それまで日本人が多く移住していた比較的気候が穏やかな南満州ではなく、内蒙古も含む寒冷な地方であるから、それは日本人が慣れられるかどうかが未知数の厳しい気候との戦いになる。その土地に、日本人が農業移民として土着するためには、厳しい冬をどう乗り切るかということが問題になる。そのための特別な衛生方策がないと、呼吸器系の疾患や肺結核、そして神経衰弱にやられる。(この寒帯神経衰弱は、はじめて聞いた概念だった 笑) 満州国の建設にともなって、多くの日本人移民を奨励することが必要になり、そのため、衣食住と満州の一般風俗を研究することが必要になった。この研究は、もともと満州医科大学の衛生学教室と大連の衛生研究所などで行ってきた。色々な様式の家屋(中国風や和風)や、模型家屋における温度や湿度の研究である。そして、昭和8年より、住宅と飲食物については、満鉄地方部より二ヵ年で合計23,000円の研究費がおり、また、日本学術振興会より、京都帝国大学の衛生学教室に衣服の研究、特に約20坪の完全冷蔵設備を建設するのに3000円の研究費が助成された。

著者(三浦)によれば、日本の夏は熱帯的で日本人は酷暑を凌ぐ方策は知っている。建築も夏向けだし、食物も夏向けの淡白な食事、衣服の夏向けの浴衣と、すべての生活が「防暑的」に作られている。日本には厳寒に対処する方策が欠けているのである。であるから、寒帯に向かった日本人の移民は南方移民に較べて苦戦している。

・・ここに、南方移民研究と北方移民研究の間の競争的な響きがかすかに感じられる。