儀礼と公衆衛生

必要があって、中世医学史の研究者の論文集を読む。文献は、Horden, Peregrine, Hospitals and Healing from Antiquity to the Later Middle Ages (Aldershot: Ashgate Publishing Company, 2008).

これは、Ashgate というイギリスの科学史に強い出版社が出している Variorum というシリーズで、ある研究者が、色々なところに出版した論文を集めて一冊にまとめるという面白い試み。便利だけれども、写真版か何かで作られていて、章ごとにフォントとか印刷面が違ってそろっていないという、ちょっと悲しいつくりの本になっている。それでも、私はこの研究者のファンだから、彼が書いたものが揃っているのは嬉しいし、既に持っていた論文も何点かあったけれども、まあいい。

何かのレファレンスに書いたユスティニアヌスのペストについて、やや短い論文が収録されていて、これは、私がこれまで読んだ中では最も優れたもの。レファレンスで書くべきことをコンパクトに一目瞭然にわかりやすく書いていると同時に、非常に思慮深い記述である。そして、最も嬉しい掘り出しものは、Ritual and public health in the early medieval city という、Body and City という論文集に出した論文。この論文の主題は、中世の教会が病気に対処したときの儀礼について、宗教的な側面と、現代の公衆衛生から見て効果があると認められる側面が、どのような関係にあるのかということである。この二つの側面は、文系医学史家と理系医学史家の視点が最も激しく「ずれる」ところであり、医学史研究を二つに分裂させているフォッサマグナがもしまだあるとしたら、だいたいこのラインの上にある(笑)この問題について、とても深い思索的な記述をしている。

50年ほど前には教条的な理系医学史家ばかりだったけれども、30年くらい前から風向きが変わってきて、最近は、教条的な文系医学史家(笑)が多い。だから、「効果」の側面に注目する視点を真剣に取り上げようとすると、少し前までは聴衆の間に露骨な無関心、場合によっては敵意といえる雰囲気が漂ったことを記憶している。しかし、この数年で、また風向きが変わってきたと思う。私は、精神医学の歴史を研究している間は、「効果がある」治療法のことなどは考えなくてすんだけれども、感染症の歴史を研究するようになってからは、実態として「効果がある」治療法や予防法のことを真剣に考えるようになって、いわゆるホイッグ史観を「古い」と一言で片付けてそれと正面から勝負しない研究者に苛立ちを感じる。