日本の細菌学

いただいた論文を読む。文献は、横田陽子「日本近代における細菌学の制度化―衛生行政と大学アカデミズム」『科学史研究』48(2009), 65-76.

日本の明治から大正期の細菌学を、アカデミズムと衛生行政の二元論で分けたときに、これまで知られている事例がどのように見えてくるかという論文。北里をはじめとする日本の細菌学における一つの流れは衛生行政にあったこと、衛生行政側に立つ巨星たちは大日本医会に結集して、新進の東大アカデミズムの明治医会に対抗したことが議論の軸。前者は、北里を押し立てて伝染病研究所をつくり、そこで細菌学の実地講習を行い、手技実践の習得を通じて府県の衛生課に影響力を持った。『細菌学雑誌』は、その一派の業績を広く知らしめるとともに、府県の衛生課の技師・医師による論文も掲載し、用語を統一した。日本の細菌学は、衛生行政の制度をなぞるようにして、専門的な学知を形成していったのである。特に、明治末のペストの流行は、実際の死者は数千人程度と規模は小さかったが、それが衛生行政に与えた影響は甚大であった。一方、東大アカデミズム派は北里の業績を攻撃し、衛生行政の内部の事務官と医者の争いに便乗する形で、伝染病研究所を我が物とする(いわゆる伝研移管である)。

細菌学には、もちろんアカデミズムと衛生行政という軸もあったけれども、実地の行政の現場にいくと、臨床的な診断なのか、それとも細菌学的検査なのかという軸もあったと思う。少なくとも理論上は、細菌学的な検査は、「擬似コレラ」といういい加減な名称をつけて、もたもた・おろおろしている臨床医の判断を一刀両断にしてコレラ発生を宣言する切れ味を持っていた。この「切れ味」が何をもたらしたのかを調べて、それを「アカデミックな」医学との関係において調べてみようというインスピレーションを与えてくれた、優れた論文だった。