医学における科学

必要があって、アメリカの医療において「科学」が持った歴史的な意味についての研究レヴューを読む。文献は、Warner, John Harley, `Science in Medicine,' Osiris, 2nd ser., 1985, 1: 37-58.

これは、アメリカでそれまでの「医学史」に代わって「医療の社会史」と呼べる研究が隆盛していた1985年に、そういった研究を批判的に総括して、新しい方向を示唆したもので、研究史のターニングポイントになったといってもいい。

1960年代から70年代にかけて、医学の科学技術的な側面の進歩が、必然的によりよい医療、特に患者にとってよりよい医療をもたらすという前提が大きく動揺して、結果的には、それからしばらくして、「別の経路を通じた医療の改善も必要である」という合意が形成される。これを受けて、医学の歴史を記述する立場も変わってくる。すなわち、かつての医科学の進歩に注目することが基調になっている医学史とは明確にトーンが違う医療の歴史が書かれるようになった。これを医療の社会史と呼ぶことができる。この社会史の中では、医科学にリードされた医療に対する批判を強く打ち出すものが多く、医療が加えた暴力や不正義の側面に光が当てられた。そうなると、医療における科学、特に実験科学はいったいどのような役割を果たしたのかということが改めて問われ、科学は、医者の権威を高めるのに用いられたという方向の議論がされた。

科学が医者の権威を高めるのに用いられたという分析は、科学にシンパシーを持つかつての医学史の研究者や、あるいは科学が患者の利益になったということを固く信じている人々にとって、もっとも癇に障るものであった。科学の価値が分からずそれを攻撃するジャーナリスティックな左翼文系の一面的な見方、あるいは陰険なでっち上げだと思われて、激しい論争のポイントになることが多かった。私自身、「科学が医者の権威を高めるのに用いられた」という議論を真剣に検討してみたことはないし、正直言って、70年代の左翼のナイーヴな議論に聞こえるなあという印象を持っているし、陰険で狭隘な文系左翼というのは最近減少しているけれどももちろん存在する(笑)。しかし、これだけは確実なことだが、実験科学が患者のためになるから医学に導入されたというのは、史実に合わない。19世紀の半ばに実験科学が医学に導入されてから数十年間、実験科学は臨床への恩恵をほとんど与えないにもかかわらず、重要視されていた。臨床へのペイオフがない営みが、医学の新しい顔であり、当時上昇していた医者の権威を支えていたというのは、まぎれもない史実である。

この論文は、このような社会史的な研究が持っている大きな欠陥を鮮やかに指摘して、医学における科学の「多様な意味」を問う事で、医学史の中で、科学のコンテンツと機能の双方の分析を行う方法を示唆している。