特定病因説の哲学的形成

必要があって、特定病因説の形成についての論文を読む。文献は、Carter, K. Codell, “The Development of Pasteur’s Concept of Disease Causation and the Emergence of Specific Causes in Nineteenth-Century Medicine”, Bull.Hist.Med., 65(1991), 528-548.

パストゥールとコッホの細菌学説は、ある病気には特定の原因(病原体)があるという特定病因説のモデルを打ち立てた。この特定病因説は、バイオメディシンの弊害の元凶のように言われて人気がないけれども、歴史的に言えば、19世紀の末から20世紀の前半の医学に巨大な影響を与えたことは間違いない。この特定病因説の哲学的な概念の前提を分析したのがこの論文。話のポイントはわりと簡単で、それまでの医者たちが病気Xであれば必ずそれがある十分条件Yを探していたのに対し、パストゥールは発想を転換して、それなしでは病気Xが起きない必要条件Zを求めようとして成功した。

この発想の転換は、病理解剖学で病気を特定する目的から、治療と予防を中心にしたものへと、違う目的を立てたことにある。ゼンメルヴァイスの産褥熱にせよ、かいこの伝染病にせよ、それを取り去れば病気にかからない必要条件Zを特定することが必要であった。一方、病理解剖学によって発見できた条件から、何の病気なのかを知ることに慣れていた医者たちには、この発想は縁遠いものであったという。

最近は医学史の中で流行っていない視点を使って鋭い問題提起をしている論文だとは思うけれども、自分が過去に書いた論文ばかり引用していて、正直言って、ちょっと苛立った。

ラカトシュの言葉を引いていて、ちょっと面白かった。「科学者が科学<について>知っていることは少ない。それは、魚が水力学について知っていることよりも大して多くはない。」まあ、哲学者らしい、自分たちが興味を持っていることが大切なことで、人が興味を持っていることはトリヴィアルなことだという確信に基づいた言い方だけど(笑)