バロック期イタリアのリストカッター



必要があって、書簡診療の書物をもう一冊眺めていたら、面白い症例があったので記事にする。文献は、Torti, Francesco, The Clinical Consultations of Francesco Torti, translated and with an introduction by Saul Jarcho (Malabar, Florida: Krieger Publishing Company, 2000).

著者のフランチェスコ・トルティ (1658-1741) はモルガーニよりも一つ前の世代のイタリアの医者で、新設のモデナの医学校の教授であった。彼も303点の書簡診療をまとめた手稿を残している。彼のところに書簡で寄せられた病気の訴えと、それに対する返事をきちんとまとめて書かれていて、かなり明確に出版を念頭においていた手稿を英訳したもの。

症例262(pp.706-709)は、34歳で既婚で多くの出産経験があるヒステリーの女性の書簡診断である。まず、依頼状は女性の症状と病気の背景を生々しくトルティに伝える。2年ほど前から、最初は精神の不安定にはじまり、次第に体の各所に痙攣が起きるという重いヒステリーが起きる。あらゆる治療法がためされ、強力な瀉血が繰り返される。この病気のせいもあって、彼女の夫は不能になって性生活を営めなくなったので、性の欲求不満も加わって、病気はさらに悪化する。痙攣は下腹部と性器におよび、また、炎のような「うずき」が彼女の性器を苦しめる。のちに19世紀のヴィクトリア朝時代の男性の医者たちが必死になって立ち向かった女性の病気であるヒステリーの典型である。このヒステリーはその後やや持ち直すが、全治にはほど遠く、大学教授のトルティの助言が求められる。

それに答えてトルティは、色々な助言を与えるが、その中に、さらに瀉血をするように勧めるくだりがあって、その中で、女性の欲求を鎮めるために瀉血が繰り返された患者の例を上げている。これは、特に何かの病気というより、独身を通さなければならなくなった女性が、欲求不満からくる体の病気や精神の不調を防ぐために、激しい瀉血をし続けた症例であるようだ。彼女は、激しく頻繁な瀉血のために、腕といい手といい足といい、あらゆる箇所に切り傷ができてしまい、もう瀉血のために切る場所がなくなってしまい、外科医は癒えていない傷口をもう一度切って瀉血していた。そして、彼女はすっかり老衰してしまったが、最後は瀉血をしなかったので病気にかかってしまったことを後悔しながら死んでいったという。想像するに、この女性は、たぶん何らかの事情で再婚できない未亡人だろうが、セックスできないことが自分の体と精神にもたらす悪影響を恐れて、体中を瀉血の切り傷だらけで生きていたことを考えると、おぞましいといいたい気持ちになる。バーバラ・ドゥーデンは、女性の体の中を流れるフルスの体液論の時代には、まるで女性の健康が自己決定されていたように書いているけれども、そういうわけじゃない。まあ、ドゥーデンの議論も、そんなに単純じゃないだろうけれども。

画像は、Eglon Hendrik Neer (2634-1703)という画家の絵画より。瀉血のあとで気絶する女性が描かれているものと、jacob Toorenvliet の166年の、これから瀉血する女性の腕を縛っている外科医。どちらもウェルカム図書館所蔵です。