ピネルとイデオロジー

もう一点、新着の『精神医学史研究』から。今回の号は読み応えがあるものが多くて、最近、明らかに水準は上がっている。文献は、上尾真道「近代精神医学の始まりにおける<人間>―Pinel とイデオロジー」『精神医学史研究』13(2009), 123-131.

<ピネルとイデオロジーの関係をフーコーの『言葉と物』で読み解く>というと、「新しもの好き」の若い院生たちは失笑するかもしれない。概念装置が新しいことはもちろん大切だけれども、装置の中に盛られている内容の質が高いかどうかも、少なくともそれと同じくらい大切である。この論文は短いけれども、要所要所で論点を的確に射抜く口調には、確かなスカラーシップと、問題を丁寧に考え抜いた痕跡がある。

冒頭で、ピネルの書物の中から「おそらく、精神異常者についての私の観察の諸帰結は、イデオロジーの原理に対し、適切な影響を及ぼし、それに別の方向性を与えるだろう」という台詞をひろっている。つまり、ピネルは、精神病院での精神医学研究とその理論化を通じて、変更と洗練をイデオロジーに与えようというもくろみも持っていた。そのアスペクトを分析した論文である。私は、この側面には気づいて着目したことはなかった。また、これも私が知らなかったことだけれども、後にヘーゲルもピネルに触れて、心的治療が依拠する精神病者の主体性を発見したことを認めているという。そういう重要な発見が、急所にちりばめられていて、とてもすぐれた内容を持つ。