実験科学と臨床医

必要があって、19世紀から20世紀における生理学者・基礎医学者と臨床医の関係を論じた古典的な論文を読む。文献は、Geison, Gerald L., “Divided We Stand: Physiologists and Clinicians in the American Context”, in Morris J. Vogel and Charles E. Rosenberg eds., The Therapeutic Revolution: Essays in the Social History of American Medicine (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1979), 67-90. 著者はアメリカの優れた医学史家で、パストゥールの研究書は翻訳もされている。

医学が実験科学に基づくようになったことは、医学の歴史の中で最大の変化のひとつである。もしかしたら、最大の変化であると言い切ってもいいかもしれない。この変化は19世紀の前半に始まった。1865年にクロード・ベルナールが『実験医学序説』を著して、患者の観察にかわって、生理学的な実験こそを医学の新しい基盤とすることを提唱したことが、フランス・ドイツといった医学の先進地域でこの変化が進んだひとつの年代上の目安になる。イギリスやアメリカではこの変化が受け入れられるのは少し遅れた。このタイムラグを強調して、イギリスの実学志向の国民性を云々したり、あるいはもう少しましな国際比較もできるだろうか、この論文はそういう方向よりも、国にかかわりなく基礎医学臨床医学の間の本質的な緊張を問う方向を示唆している。

生理学者や基礎医学の研究者にとっては不快な表現になるが、歴史上、生理学をはじめとする基礎医学は、それまでの臨床医を作る医学教育に寄生して拡大・発展してきた。しかし、いつのまにか、臨床医学基礎医学に依存するようになった。その意味で、当初は医学教育の周縁に位置していた生理学の徒が唱えてきた、臨床は基礎医学なしに成り立たないという考えは、結果的に正しかったことになる。ポイントは「結果的に」正しかったということである。アメリカでは長いこと、「生理学は、臨床医学にとっていったい何の役に立つというのか」という懐疑的な意見が表明されてきた。1888年に、ある病院の臨床医が新卒の医者に向かって語った「諸君の最初の義務は、勉強した生理学をすべて忘れることである。生理学は実験科学であり、それがふさわしい場所においては、まことに素晴らしいものである。しかし、医療は科学ではなく、経験的な<わざ>なのである」という台詞は、基礎医学の価値を認めながら、基礎医学と臨床は根本的に違うのだというスタンスを象徴している。

いろいろ重要なことをいっているが、生理学・基礎医学臨床医学は、それを学ぶ個人の性格においても、その外的な状況においても大きく違い、その部分を歴史的に論じた箇所を紹介する。まず、下世話な話になるが、それぞれの領域の医者の収入が全く違う。経済というか収入の話をすると、臨床医のほうがはるかに高い収入を得ることができた。優れた才能が収入の魅力に惹かれて基礎ではなく臨床に進んでしまうことを危惧したある生理学者は、1909年に「臨床医学というのは、優れた才能がそれに魅せられて引き込まれて、生きながら埋葬されてしまう墓場であり、その見返りというのは、金ぴかの墓石が立つことだけである」といっている。それどころか、1940年から52年にかけて、両者の収入格差は確実に大きくなっている。1940年には臨床医が4400ドル、生理学者が3700ドルだったのに対し、1952年には、14000ドルと6360ドルと、二倍以上になっている。1909年のせりふをもじって言うと、「基礎医学は、多くの人間がそれに見せられて引き込まれて、生きながら埋葬されてしまう墓場であり、その見返りは論文が出版されることだけである」ということになる。しかも、それに加えて、臨床医学は、日々、人の命を救っているという、大きな魅力を持っている。この話の信憑性は怪しいが、実験医学の父であるがやはり医者であったベルナールは、化学者であり医学の学位を持たなかったパストゥールに向かって、複雑この上ない微笑を浮かべて、「医者が誰かの部屋に入るときには、『いま、人の命を救ってきたところだよ』という台詞が口に出るんだよ」といったという。

・・・嫌味なやつ(笑)