病気とは何か

必要があって、川喜田愛郎『病気とは何か-医学序説』(東京:筑摩書房、1970)を読む。著者はしばらく前に物故した細菌学者で、日本語で書かれた西洋医学の歴史書としては最も優れた書物である『近代医学の史的基盤』という上下二巻本の大著を岩波書店から出している。故人ではあるが、とても尊敬する同業の偉い学者の書物だから、少し厳しいことを書かせてもらいます。

『近代医学の史的基盤』は、すぐれた才能と透徹した知性を持った著者が、日本において一人で医学史を研究する道を選んだことの弊害を強く感じさせる書物であるが、この書物もそれを強く感じさせる。「ちょうど半年ほどの執筆期間中、わたくしはこの問題について討議する同学に恵まれず、仕事は終始自宅の私室で進められた」と著者が冒頭で書いている通りである。まず、構成が問題である。壮大という言葉を超え、無謀であるとすら言ってよい。一冊の書物に、まず第一章として呪術から現代までの医学史を入れ、次の章で人の生物学の基本を入れる。話しに入る前の準備の段階で150ページで、紙幅のほぼ半分であり、これは、著者自身が「読み飛ばしてもさしつかえない」と言っている部分である。残りの半分がこの書物の中核になるわけだが、そこでは分類された類における病気の説明が大半を占める。そして、問題を絞りこむことをせずに、「この問題にはここでは深入りしない」と断っている問題への大脱線や小脱線が無数にある。

基本的には、傑出した着想の書物であることは間違いないし、いくつかの文章は、そのまま私自身が学生への講義の中で借りているものである。たとえば、「コッホが強靭な実証によって開拓した病原細菌学が医外にもすぐれた医学者たちの間にかならずしも容易には受け入れられなかったのは、それが病魔説の復活-それはシュヴァイツェルがたくみに記述した土人たちの『虫』となんと似ていることか-として警戒の眼をもって眺められたからであった。」という言葉(63ページ)は、私は毎年のように教室で言っている。私自身、この書物に多くを負っていることは認めなければならない。しかし、この書物は、「費えた機会」であったように思う。

しかし、もちろん圧倒的な実力者であるから、随所に優れた洞察が込められている。昔は気がつかなかった、優れた引用を二つ。ヒポクラテス「古い医術について」からの引用。「この技術(テクネー)について論じるものは、素人の知っていることを論じなければならない。なぜなら彼が探求したり論じたりするのは人々が病み痛んでいるところの悩み(パテーマタ)にほかならないからである。」ベルナール「[科学的医学とは]、結局、生理学によって疾病を説明するのである。」