泥沼にはまった現代医学

新着雑誌から、現代医学が泥沼にはまったと主張し、その原因を考察する論文を読む。文献は、Mittra, Indraneel, “Why Is Modern Medicine Stuck in a Rut”, Perspectives in Biology and Medicine, 52(2009), 500-517.

現代医学はさまざまな批判を受けていて、この現象自体が、医学史のひとつの大きな問題になっている。現代医学が、過去の医学と較べて病気を治す力がはるかに高いことは、どうやっても否定できない。それなのに、なぜ批判が高まるのだろうか? 私自身はきちんと調べたことがないけれども、科学主義の失敗だとか、パターナリズム批判だとか、患者の期待のインフレーション(「患者が欲張りになった」)だとか、患者の期待の変質だとか色々な答えの方向を漠然と知っているけれども、この論文は、ちょっと毛色が違った説明をしていて面白い。

その説明を一言でいうと、「現代医学は泥沼にはまり、この数十年間、進歩をしていないから」というものである。おそらく、多くの医者から、そして医者だけでなく患者からも、即座に批判と反証が出そうな説だけれども、とりあえず著者のロジックを記すと、以下のようになる。

現代医学の進歩は、第二次世界大戦の直後から30年ほどの期間で集中的に成し遂げられた。ペニシリンストレプトマイシンクロルプロマジンの時代であり、難病の外科手術が劇的に改善された時代であり、タバコと肺がんの関係や食生活と成人病の関係などが明らかになった時代である。この時代の大発見は、臨床医たちの独創性が発揮されたもので、セレンディピティの性格が高いものであった。しかし、1970年付近に、この独創性を殺ぐようなリサーチの形態が誕生し、支配的になった。ランダム化臨床試験 (RCT)である。RCTの実施件数は増加の一途をたどり、2006年には世界で1万5千件ものRCTが実施されている。この試験の膨大なコストに対して、治療力がどの程度上がったかというと、ごく「マイナー」としかいうほかない。マイナーだからこそRCTが必要になってくる。RCTの件数の増加は、現代医療が、効力の点では大差ない治療法を「開発」するのに無駄な労力を使っていることの証左である。行き詰った現代医療に進歩の錯覚を与えるために、ますます大規模になって独創性を窒息させているエンドゲームであるという。

基本的な発想としては10年前に Le Fanu が Rise and Fall of Modern Medicine で描いたことを踏襲している。私はこの時代を専門にしていないからもちろん断定的なことは言えないけれども、たぶん、部分的には正しいことを言っているのだろうと思う。1970年以降の医学の進歩は全体として減速したというのは、それを平均寿命などで測ったときには動かしがたい事実であろう。(いま、平均寿命と書いたが、それ以外の何を使ってどう測るかでもちろん大きな見解の相違がでてくるのはいうまでもないが。)それ以上に、医学の短い黄金時代は終わったこと、しかし、科学的なリサーチへの投資など、黄金時代に作り上げられた研究中心の構造がますます肥大していることなど、医学史家の間で合意されていることとかなり重なる。

しかし、それが、RCTに代表される医学研究のビッグ・サイエンス化が、個人の医者の独創性を殺いでいるからだという主張は、素人目にみても、あたっていない気がする。