江戸のよくばり医師たち(笑)

必要があって、江戸時代(文化13年)に書かれた、世の退廃を嘆く書物の中の、医業に関する部分を読む。文献は、武陽隠士『世事見聞録』(東京:岩波書店、1994)

近年の医者たちは、医道の本意を失い、欲情に動かされて驕奢になっている。医は仁術であるのに、欲望があってはいけない。その傲慢と奢侈を象徴するのが、医者がまるで武士のように供廻りを連れて駕籠に乗って往診することである。往来で薬箱が人に当たると、まるで武士の槍などの道具に当たったかのように尊大に怒る。そして、この供廻りの弁当代と称して、病家に特別な料金を請求する。そのため、貧しい家は医者を頼むことができなくなる。

(ここからが、なんだかよくわからないけれども面白い。)

そのため、医者の腕が下がる。貴人や富裕なものの病気は、色欲の傷れか飲食の傷れで、療治ができないが、卑賤・貧窮の人の疾病は、難病があり、病根の浅い深いがあり、命根の剛い柔らかいがあって、診察することが多くあって、どれも勉強になる。しかるに、今の医者は、卑賤をみないので、療治修行ができない。

また、医者はかつては法体といって、僧侶の姿をして質素にしていたが、今は、少し出世して大名の医者にでもなると、大小を二本差して武士気取りである。武士と医者とでは雲泥の違いがある。医者は、卑しいものの小屋にも入り、病者の汚れ・不浄をいとわず、時には膿血をすすらなければならない。これは、武士ではなく、僧侶に似つかわしい。

最近の安逸に流れる風潮に乗って、医者も労力がかからない仕事であるから、田舎でも都でも医者が増えている。貧富の差が増大しているので、貧者も増え、富者も増え、それぞれが病気にかかりやすくなっている。売春が増えているので梅毒も増え、「溜飲」という病気も増えている。この中で、医師の増大は、医者が競争的で軽薄な処方をするように仕向けた。一時的に効いたような気がして患者は満足するが、結局は毒になるような薬が人気を博している。田舎には、まだ篤実な医者もいるかもしれないが、辺土なので医学修行もできず、人もいないので医療を磨くこともできないのは残念である。

別の章で「盲人」というのがあって、これは、盲人に対するすさまじい罵詈雑言になっている。盲人には心がねじ曲がった残忍なものが多いが、これは、目が見えないからひがんでそういう風に心がねじ曲がるというわけではない。残忍なものは、中年を越すとたいがいめくらになることから判断すると、天罰として目が見えなくなるのだ、と滔々と述べたてている。