シャルコーの伝記

必要があって、フランスの偉大な神経医で、そのヒステリーの臨床講義は医学を超えてパリの社会現象となったシャルコーの伝記を読む。文献は、Goetz, Christopher G., Michel Bonduelle and Toby Gelfand, Charcot: Constructing Neurology (Oxford: Oxford University Press, 1995). 

シャルコーは、パリに留学したフロイトをヒステリー研究に引き込んで精神分析の産婆となったという役割を果たしていて、19世紀のカルスタの焦点の一つになっていて、その筋での研究もたくさんある。この書物は、そういった派手な道具立てではなく、当時の神経学のテクニカルな文脈と、サルペトリエール病院の経営と教育・研究の構造という地に足がついた文脈の中に位置づけた、「渋い」書物である。

それでも、とりあえず今のところはそういう渋い玄人受けするスカラシップではなくて、ヒステリーについてのヒントが欲しかった時だから、やっぱりヒステリーの箇所を読んだ。で、やっぱり玄人受けする洞察に満ちていた(笑)。シャルコーがヒステリーの主題を研究するようになったのは、もちろん彼より前にフランスでヒステリーの研究が細々と行われていたということもあるが、それ以上に、サルペトリエール病院の制度的な側面が大きい。サルペトリエールは、貧しい女性でさまざまな不治・難治の病気にかかったものを収容する大病院であった。そこには、有名なピネルが改革した精神病の女性患者を集める病棟があった。この病棟には、厳密な意味で精神病ではないが、類似の疾患の女性も収容されることがあった。しかし、1838年の法律以来、実は、患者を精神病棟に収容し閉じ込めるためには、精神病という判定をされていなければならない。それまで、曖昧にされたこの規則を徹底することで、サルペトリエールの精神病部門に入っていた患者が、精神病の基準を満たさなくなり、行き場がなくなってシャルコーの神経病部門に入ってくることになった。これが、シャルコーが多数のヒステリー患者を診るようになったきっかけであった。その患者たちは、当然、貧困層の出身であり、有名な患者のロザリー・ルルーは親に捨てられた孤児であった。