『スキャンダルと公共圏』

必要があって、18世紀の「公共圏」の問題を整理した論考を読む。文献は、ジョン・ブルーア『スキャンダルと公共圏』近藤和彦編(東京:山川書店、2006)

精神病というのは、「私的な苦悩の中でもっとも公的なもの」である。この的確で豊かな広がりを持つフレーズは、マイケル・マクドナルドとアンドリュー・スカルという、二人の優れた精神医療の歴史家が用いている。私も、その私的な部分と公的な部分の構造を調べることが精神医学の歴史研究のもっとも重要な課題だと思っている。だから、ハーバーマスをはじめ、「公共圏」の歴史理論は少しは勉強しているけれども、それが上手く使えない。まあ、粘り強く勉強して行くしかないのだろうな。

ブルーアは、ハーバーマスとコゼレク、それからフランスのシャルティエたちの初期近代のプライヴァシーと公共圏についての議論をまとめたあと、18世紀イギリスのプライヴァシーの問題、特に「私的な」書簡などについて分析する。「18世紀後半には、普通の人々の自分史や自伝の数が大きく増加しました。しかしこれは、私生活へのかかわり方や私生活への興味関心が高まったことを示すものではありません。それは私生活、より正確には私生活の表象が、面識のない誰かの閲読の対象になりうる度合いに対する自覚が高まったことを示すものです。」(68) 「私が表象されるものであるならば、それは、見られるものが統御すべきだという認識、そして、私が表象されうることへの自覚が、私的な振舞いをかたちづくるという認識です。」(73)この、私という現象に対する再帰的な意識が近代の鍵であるという指摘はもちろん鋭い。しかし、これは、共有されること、究極の場合には出版を念頭においた書簡や、その書簡の形式をとった小説や、あるいは人が訪問することを前提にした家屋の設計などから出てきた分析で、私が分析しようとしている精神医療の資料とは、問題の位相が齟齬しているような直感を持っている。

それでも、さすが当代一流の歴史学者による公共圏の問題のすぐれた解説で、少し問題が整理できたような気がした。