「狂人もただは怒らぬ」

先日取り上げた金子準二の本で、日本の精神病についての俚言を集めた部分がある。精神病についてのことわざなどを集めたもので、もちろん私が知らないものばかりであった。「狂人に刃物」「狂人にたいまつ」(狂人にわざわざ危険なものを持たせること)「狂人に人参もる」(人参は精神変容性をもつ毒物をさし、狂人に覚醒剤を与えてわざわざ興奮させることを意味する - ちなみに、昔の日本で、精神変容物質が知られていたことも示唆している)「狂人の蜂に刺されたよう」「狂人の股ぐらに蜂が入ったよう」(大騒ぎをすること)などで、知っていたのは「狂人に刃物」だけである。

高知のほうで「狂人もただは怒らず」「狂人も一人は狂わぬ」という俚言がある。それに、金子が「これは、精神病観察が不十分である。精神病者は相手が実在しなくても幻視・幻聴などから狂い暴れることがあるのを見落としている」というコメントをつけている。これは、なくもながのコメントというべきではないだろうか。これは、狂人だからといって、暴れたり暴行したりするのには理由がある、暴れたときには、その原因に思いをめぐらして、狂人に接するわが身をふりかえるべきであるというような知恵を語っているんじゃないだろうかと思うんだけど。金子先生、警視庁でのお仕事が長すぎて、狂人が危害を加えるという側面にばかり気を取られてやいませんか(笑) あ、ちなみに、私も何か根拠があるわけではないのですが。 

なお、「きちがい」というのは、気が違ったということだが、これは、気が「違う」というよりも「入れ換わった」というのがもともとの意味で、死霊や生霊などと気が入れ換わったという意味だそうだ。金子の説明は、説得的な説明だとは思わなったけれども、そうか、そういうことなのか。