平野長官の「斟酌」

今日は無駄話。 政権交代が起きるまえに書いた、麻生元総理の漢字誤読問題と同じ系統の話です。

麻生前総理の「未曾有」、鳩山総理の「朝三暮四」と、総理大臣の国語力が問題になっている。いま平野官房長官も「斟酌の理由がない」という言葉で躓いているけれども、私は、これは平野官房長官が民意を踏みにじって平然としている冷血漢の発言をしたとは考えにくく、実は国語力の問題、もっと想像を逞しくすると方言の問題なのかなと思う。というか、「斟酌」という言葉、意外に難しくて、昔から日本人はこの言葉で苦労していた。

日本国語大辞典をひくと、
1.酒などをくみかわすこと。 2. あれこれと照らし合わせて取捨すること。参酌(さんしゃく)。 3. 先方の事情、心状をよくくみとること。推察すること。忖度(そんたく)。4. ほどよくとりはからうこと。気をつかうこと。手加減すること。 5. ひかえ目にすること。遠慮。ためらい。辞退。
という五つの意味がある。私が一番ぴんとくるのは、3. の意味で、この語義の用例としては「坊っちゃん」から、「どうか其辺を御斟酌になって、なるべく寛大な御取計を願ひたいと思ひます」という意味がとられている。4.の意味もそれに近い。「斟酌」という言葉は、現在では、普通、この意味で使うだろう。他の国語辞典をひいても、この語義である。新明解は、相手の立場を考慮すること、あれこれの条件などを考え合わせて適当に処置すること、という語義をのせている。平野長官が、この意味で「斟酌する理由がない」と言ったとしたら、それは「相手の立場を考慮する理由がない」という意味で、これ、まぎれもない暴言というか、ありえない発言である。

しかし、ここで、5. の意味に注目していただきたい。「辞退する」という意味である。そして、実は、これだと、3.4. とは反対の意味になる。「とりはからって行う」と、「行わないで辞退する」という意味になるからである。昔の国語学者(というのかな)も、この「斟酌」という単語に二つの正反対の意味が出てくるという問題を気にしていて、日本国語大辞典には、「5. については、漢籍での用法から外れるとの規範意識があったらしく、「左伝聴塵」に「斟酌と云ふを、日本に辞退する方に心得はいはれた也。斟酌ははからひ行ふ心新なり」、「かた言‐一」に「斟酌といふこと葉は、物をくみはかるこころにて侍るを今は辞退することにのみ云るは誤とぞ」という指摘がある。」という注記がある。

これは、現代語の「斟酌」の用法ではない。しかし、平野長官は、Wiki によると、和歌山県伊都郡かつらぎ町のご出身で、そのような在の地方には、大都市では消滅した古い言葉や用法が残っていると聞く。結論めいた仮説をいうと、平野長官が言いたかったのは、「(辺野古への移設を)辞退してあきらめる理由はない」ということなのだろうか、と思っているのですけど。まあ、そうだとしても、誰かに招待されているわけでもなんでもない、妙な言い回しであることには変わりないのかもしれない(笑)