東洋医学

必要があって、東洋医学の入門書を読む。文献は、大塚恭男『東洋医学』(東京:岩波書店、1996)。さすが第一人者の記述だけあって、とても分かりやすかった。西洋医学とのアナロジーと翻訳不能性の双方を交えて説明してくれるのがよかった。

現代医学の発展に呼応・並行して、20世紀の半ば以降に漢方医学の見直しが始まる。これは、日本だけの現象ではなく、アユールヴェーダやユナニ医学も同時期に見直されている。1970年ぐらいが、伝統医学の見直しが本格化したということらしい。1971年に開かれた学会で、ある欧米人が「われわれは今後どうしたらよいか。現在持っている医学をそのままの方向に発展させることが、我々の健康のために最善の策であるかどうかは疑わしい。とすれば、われわれはアジア各地に長い伝統をもって、現在もなお大きな勢力をもっている医学から学ぶべきことがないかどうかに関心をもつのは当然のことである。」

このように伝統医学が見直されたのは、西洋医学には限界があると感じられはじめてきたからである。その現代医学批判は、過度の分科現象、サリドマイドに代表される化学薬品の副作用、客観的に理解しがたい患者の愁訴に対する無理解の三点をあげることができる。

漢方には基礎医学である病理学や生理学がないから、生きている患者だけがすべてであり、施術者と被施術者の間には、精神と身体を一丸にした全人格的な関係ができる。また、2000年の時をくぐっている漢方の薬は、副作用はあるが、サリドマイドのような副作用はない。また、漢方では、訴えに対して、処方をすることができるのに対し、西洋医学では、訴えそのものではなくて、検査して、局所的・機能的な変化を特定してから、それが治療を決めていくという構造になっている。この検査というのが、西洋医学の医師と患者の対話を失わせているという。

それなら漢方の「対話」とはどういうものかというと、方(処方)と証(治療法の側から、これに適応する条件を示した病像)が一致するから、患者を見ると、治療の名前をつける。Aさんは「葛根湯」の証がある、Bさんは桂枝湯の証があるというわけである。つまり、患者が購入する商品のブランド名が病名になるというわけですね(笑)

二つ、考えたことの断片をメモ。 実は、東洋医学の復興のタイミングとその理由については、著者のお父様である大塚敬節もその一人だけれども、戦前に優れた漢方医学者たちが集まって、一回復興の機運が盛り上がったことがある。サリドマイドが起きて東洋医学の復興があったというのは、どのような意味で書いたのだろうか。

もうひとつ、7世紀の中国の医書『千金要方』に、女性と男性の違いについて、「女性は、男性よりも嗜欲が多く、病意識は男性の倍ほども強く、感情を自分で抑えることができないので、病根が深くなり、治病に骨が折れる」とあるそうだ。(142)戦前期の東京の話だけれども、女性は男性よりも精神病院には入院する可能性は圧倒的に低いけれども、他の病気にかかって医者に行ったり薬を飲んだりする頻度は男性より圧倒的に高い。女性は「病意識が強い」って、なんだろう?「嗜欲が多い」ってなんだろう?