西洋の養生の歴史

必要があって、個人衛生(養生)の歴史のレファレンスをチェックする。文献は、Wear, Andrew, “History of Personal Hygiene”, in Companion Encyclopedia of the History of Medicine, eds. by W.F. Bynum and Roy Porter (London: Routledge, 1992), 1283-1308. 古典古代から19世紀までの hygiene の歴史を通観した短いレファレンスだが、具体的な記述の中に深い問題を織り込んでいて、非常に優れた記述になっている。養生/衛生の歴史を考える時に、まず読まなければならない文献である。

Hygiene というのは、もともとはギリシア語で「健康」を意味する言葉である。身体の管理によって病気にならないようにする技術の総体をさし、病気になった時にそれを治療する therapy とならんで、古典医学の一つの柱であった。日本語の感覚でいうと「養生」という言葉がぴったりくるが、英和を引くと「衛生」という訳語がある。「衛生」というのは、「清潔」にウェイトがかかったニュアンスをもっており、現代の英語でも、Hygiene を英英でひくと、清潔にすることで病気を防ぐという語義説明がされていて、清潔の意味が強い。これは、古典医学から19世紀初めまで、一つの有機的なまとまりをもっていた hygiene という概念が、パリの臨床医学革命以来の劇的な変化の中で解体されたところに、細菌学の影響を受けて、病原体がないように見える清潔さを保つことが、病気にならないことであるという、もともとの意味からかなり限定された側面によく使われたことによる。ちなみに、日本語の「衛生」も、初代衛生局長の長与専斎がその言葉を中国の古典から引き抜いて公衆衛生行政全般を現す言葉として使ったときが、コレラとの戦いなど、細菌学の幅を効かせていた時代であったので、細菌学と親和性が強い「清潔」の意味合いが刻印されている。

面白いポイントはたくさんあったけれども二つだけ。一つは hygiene と余暇の関係である。昔の西洋の養生法の本を読むと、ワインの風呂に入れとか乗馬をしろとか書いてあって、社会の上流階級を念頭に置いた記述がいやでも目につく。身づくろいをするだけのゆとりがあった人たちを対象にしていた、金持ち限定の生活マニュアルのような側面は確かにある。しかし、興味深いのは、ガレノスによれば、hygiene は、むしろそのために余暇を作り出す仕掛けであった。富裕であっても、仕事にばかり夢中になって、身体のケアをする時間がない人間は、奴隷と同じであるという。余暇を自分の身体のケアに使うという生活スタイルをつくる仕掛けであった。

もうひとつが、ルイジ・コルナーロという、16世紀から17世紀にかけて80歳まで生きて、その自伝的な健康マニュアルがヨーロッパの各国語に翻訳されたベストセラーについてである。養生法・健康法は、個人化のドライヴが強くかかっているジャンルであった。コルナーロは、当時の医学とは必ずしも一致しない独自の健康法を主張している。ここにあるのは、「個人の人生の語り」である。そして、この個人化を下支えしているのは、キリスト教の回心の物語に祖型をとった、個人的な回心の物語である。健康をインテンスに個人的な現象にして、個人を最終的な審級とする仕組みの形成に対する深い洞察だと思う。

非常に優れた論文なのだけれども、ひとつ、肩すかしを食ったことを書いておく。18世紀のスイスの医者で、ヨーロッパ全土で有名だった、サミュエル・ティソという人物がいる。マスターベーションの弊害について書いているから、医学史の研究者なら誰でも名前を聞いたことがある。このティソが、スイスの時計メーカーの創設者である、というトリヴィアが挟んであった。私は、へぇと思うと同時に、ちょっと待てよと思って調べてみたら、よく分からない。今でも有名な高級時計メーカーのティソの創設者は別人みたいだけれども、そのネタって、本当ですか?