ゲイシャのプロポーションは美しいか?



必要があって、19世紀から20世紀ドイツの「医学的美学論」についての研究書を読む。文献は、Hau, Michael, The Cult of Health and Beauty in Germany: a Social History, 1890-1930 (Chicago: University of Chicago Press, 2003)

20世紀初頭に活躍した人類学者で医者であったシュトラッツ (Carl Heinrich Stratz)の医学・人類学的な女性美の議論を分析した章を読む。18世紀以来、人種の階層と美の階層を一致させる言説は存在した。当時の美の基準とされたギリシア彫刻の完全な美に近づくことができるのは白人だけで、劣等人種はだめだから、劣等人種の美的な基準は、その欠陥を反映したものになっているという、当時の基準でいっても露骨にヨーロッパ中心主義的な見解である。フィルヒョウやヨハネス・ランケ(Who?) などに、19世紀のリベラリズムにくみした大物の医者たちの間では、この考えは懐疑的に受け止められていた。人種間の違いを客観的に算出しようという人体測定学は19世紀の末には知的に破産していて、客観的な指標は出せないという方向に向かっていた。

しかし、19世紀の末には、測定と客観的な指標がだめなら、直観に訴えるしかない、そして、直観に基づいて、それに測定という科学的な偽装を施そうという、当時の基準で言っても科学とは受け入れられないもの、そして、当人たち自身が科学的に不十分であると認めていた方法をとる人々が現れた。シュトラッツはそのような医者・人類学者であった。

シュトラッツは1887年から92年に、インドネシアのオランダ軍の軍医となり、その時の経験をとりこんで、「女性の人体美について」という書物を1901年に出版した。大戦までに9版を重ねた成功した書物である。これによれば、東洋人と黒人の女性は、西洋人に較べて美しくない。東洋人は手足が短くて頭が大きすぎ、黒人は手足が長すぎて頭が大きすぎ、肩幅が広くて腰が小さい。この女性美を論じた書物は、男性知識人向けに書かれた書物だが、女性の裸体画・ヌード写真が多く、「ひそかな楽しみ」を提供していた可能性がある。それよりも重要なことは、ある人種が高度に進化するとその中での男女の違いが大きくなるという考えである。

白人のノルディックな女性はギリシア彫刻に似て美しいが、そこには下品なセクシュアリティはない。一方、他の人種の女性たちは、ある種の魅力を持ちチャーミングであるが、彼女たちには「美」はない。ちなみに、ヨーロッパ人の中でもフランス人の女性はチャーミングで性的な魅力はあるが、その魅力はドイツの女性の魅力に較べて低俗であり、ドイツの女性の中でも、下層階級の女性の魅力は低俗であるという。(・・・なんて偏狭で野蛮な理論なんだろう・・・笑)

ちなみに、日本人の女性には二つのタイプがあるという。チョーシュー型とサツマ型である。(ほぼ間違いなく長州と薩摩だろう。)チョーシュー型はスリムでスレンダーな顔で洗練されていて上流階級に多いが、サツマ型は、短く太く、目は細く、ほほ骨が高く、ヨーロッパの理想から大きく離れている。もちろん、前者は上層、後者は労働者・農民に多い。

シュトラッツが日本女性の美として分析し測定しているのは、ゲイシャの写真である。ヨーロッパの美人の方は、美術のモデルで全裸だが、このゲイシャは半分着衣している。(きっと、説得したけれども全部は脱がなかったのだろう。)ちなみに、この「うりざね型」の顔をそた女性はチョーシュー・タイプだそうである。この女性は、明治期に東南アジアで売春をしたいわゆる「からゆきさん」なのかな。三味線のほかに、色々な小道具が写っていますが、詳しい方、分かりませんか? 

画像は本書より。いかにもビーダーマイヤーが理解しそうなギリシア型のドイツ美人と、日本のチョーシュー型の芸者の写真と、そのプロポーションの違い。