ポランニー『経済の文明史』

必要があって、ポランニーを読む。ちくま学芸文庫に入っている『経済の文明史』。昔、栗本慎一郎がスター学者だったころに読んだことがあって、懐かしかった。

市場という経済システムが社会に埋め込まれているのか、それとも社会が市場に従属しているのかという大きな問題を扱った議論。労働、土地、貨幣についても市場が存在するという事態を、これらを商品化するのはまったくの擬制である。市場は経済の唯一つのメカニズムではなくて、それ以外にも、互酬、再分配、交換などがある。自己調整的な市場の中に、労働という人間存在の時間の使い方そのものや土地という生活の基盤が、擬制商品として組み込まれたことは、イギリスを中心として近代のヨーロッパで起きた、歴史上のごく短い時期の特殊現象にすぎない。これによって、契約が身分にとってかわり、ソサイエティがコミュニティにとってかわった。これは、進歩の側面をもちろん持っている。しかし、その進歩は、「社会的な地すべりを代価として」購われたものであった。(44) 人間の動機には、本来経済的な動機というものはない。人が、宗教的・美的・あるいは性的な経験をするのと同様な意味での、独自な経済的な動機というものはない。「個人が自分よりも利口な人たちが自分たちのために設計してくれた制度を支持するように条件付けられている「すばらしい新世界」の理想である。」(77)

アリストテレスが、交換の当事者が共同体の中でどういう相対的な地位を占めているかによって同じ商品でも価格が変わるべきだと書いていて、これは、価格は正義によって決まるべきだという思想に由来するとのこと。これは、イギリスでも日本でも行われていた、医者が、患者の身分や懐具合によって診察料を変えていたことを考えるときの一つにヒントにならないだろうか。