『医譚』と腫面


必要があって、昭和戦前期に刊行されていた関西医史学会の機関誌『医譚』を読む。復刻版が医学史書の老舗の思文閣から出ている。

昭和13年から19年まで刊行されたもので、その内容の水準が高いことは私たちの間では有名だった。私は復刻版で初めて触れるが、なるほどこれは好事家的医学史のジャンルの中で非常に水準が高い論文集である。明治7年の台湾出兵の時の軍医の記録で、兵士がマラリア(「弛張熱」)でばたばた倒れて、1400人の患者のうち1000人、160人の死者のうち100人くらいがマラリア関連であるとかいう知っておいて損はない豆知識や、対象から昭和にかけて活躍した大阪市・大阪府の官僚で、大阪のコレラの歴史を書き、臨床心理学の著述をした向井藻浦という人物の略伝だとか、それはそれは面白い情報が満載。

一番おもしろかったのは、「腫面(はれめん)」という仮面の一種であった。関西医史学会には皮膚科の医者が多かったせいか、ハンセン病の歴史についての記事が充実していて、広瀬常雄という人物が、「腫面」について二回にわたって書いていた。これは、能より以前の古い舞楽で使われた面の一種で、東京や奈良の帝室博物館(今の国立博物館だろう)や厳島神社に奉納されてたものが残っているという。舞楽の中で「二の舞」という場面で、メインの踊り手(あま)踊りを二人の踊り手が下手に真似て滑稽味を出すときに使われるという。二人のうちの一人は翁で、こちらは顔いっぱいに笑っている咲面とか笑面というものをつける。もう一人の媼がつけるのが「腫れ面」である。笑みに対するわけだから、泣き顔で腫れているのではないかという説もあるそうだが、中には、泣き顔の範囲を超えて、病理的に顔が腫れて変形しているもの、もっと言えば当時はらい病と呼ばれた病気で顔が変形しているように思われるものもあるという。著者の広瀬は、この舞楽が生まれたと考えられる地域にはハンセン病が歴史的に蔓延していたこと、また、フランベシアなどによる顔の変形を現した仮面などもあることから、腫れ面の起源はらい病にあるのではないかと推測している。

腫れ面はハンセン病患者がモデルだったという説について、私にはもちろんその当否は判断できないが、今の研究ではどうなっているのだろうか。吉田兼好が、病気で顔が腫れた人をみて、「お面のようだ」と書いているそうだけれども、これは証明も反証もしない。もし、「腫れ面」がハンセン病に起源があるからといって、舞楽の中で「二の舞」が上演されるのを禁止するだとか、そういったことになっていなければいいのだけれども。

画像は興福寺の腫面。