日本陸軍の精神病院

必要があって、日本帝国陸軍(および海軍)における精神医療の歴史を研究した書物を読む。文献は、清水寛『日本帝国陸軍と精神障害兵士』(東京:不二出版、2006)

日本の陸海軍の医学というのは面白いトピックだけれども、色々な理由で研究が難しい。この書物は、陸海軍における精神障害の処遇と治療を丹念に調べてまとめた研究である。特筆すべきは、軍隊の中央精神病院のような機能を果たしていた国府台病院に保存されていた患者のカルテ(「病床日誌」)を組織的に用いているということである。精神病院のカルテという資料を使うことは欧米の医学史では定着していて、私自身もこれを使った仕事、あるいは新しい使い方を示唆した仕事をしたことがあるけれども、日本の精神医療史研究では、このタイプの資料が使われた例は極めて少ない。その意味で、この書物は貴重な先駆的な試みである。カルテをうまく使っているとは到底言えないけれども、実際、日本のカルテの使い方は難しいと私も思う。

陸軍懲治隊という陸軍の「感化施設」とでも呼ぶものがあり、1902年の条例で作られ23年に教化隊と改称された。軍隊の中で犯罪を犯すと当然処罰されるが、処罰しても効き目がなく何度も再犯する個人については、これらをひとまとめにして他の軍隊から遠ざけて、特殊は管理と規律の対象にすると同時に、軍紀が破られるのを防ぐという仕組みであった。この特殊「部隊」を1911年に三宅鉱一と杉江薫が調査して、1914年の「児童研究」という雑誌に調査結果を論文にして執筆している。また、23年以降の教化隊については、詳細な指導要領などがあるという。彼らを検査した結果によれば、誰でも持っているが、この教化隊に入ることになった精神病質や異常性格のものたちが共通に持っている心理上の欠点が、「意志の薄弱「思慮の浅薄」「人生の暗黒面のみ見ようとする」ことであるという。これを正すには、人情を復活蘇生させ、意志を鍛錬し、熟慮および反省の習慣を身につけ、正しき人生観を確立することが重要だという。教化にあたる幹部兵は、まず自己を磨け、愛せよ、責めるより許せ、誹るより誉めよ、という思想で指導せよと言われていたという。

これは以前に書いた記憶があるが、ぜひ憶えておいて頭に刻みつけたいからもう一度書く。国府台病院の精神病部門に1938年から45年までの入院した患者のうち、第一位は分裂病でこれは4割、第二位はなんとヒステリーでこれが1割、次に頭部外傷・外傷性てんかん、神経衰弱と続く。

トリヴィアを一つ。1891年の徴兵検査の不適格者の病類別の分類を見ていたら、一番多いのは、全身発育不全というもので、背が低いとかそういうもの、第二位は痩せすぎていて虚弱であるもの、第三位が角膜虹彩の疾病で、このあたりはなんとなく予想できる障害であるが、第6位が面白くて、これが「腋臭が甚だしい」であった。