精神病患者の「作品」

必要があって、19世紀中葉のアメリカの精神病院における患者の「作品」を分析した書物を読む。文献は、Reiss, Benjamin, Theatres of Madness: Insane Asylums and Nineteenth-Century American Culture (Chicago: University of Chicago Press, 2008)

NY州の州立精神病院(Utica)は Opal というタイトルで、患者が書いた文章が掲載された患者雑誌を発行していた。当時流行の「モラル・トリートメント」の一環で、病院の院長は患者が文章を創作することを奨励していて、患者が書いた詩や散文などを出版する患者雑誌の発行を助けていた。この雑誌の中の患者の作品の成立は複雑である。著者である患者は、自由を奪われるなど圧倒的な力のアンバランスのもとで隔離収容されている状況で、しかし「自発的に」書いたと考えてよい「作品」である。単純な患者の声でも単純な洗脳でもないマテリアルで、文学研究者の腕の見せ所といってよい。その意味で、この書物の分析は示唆に富む。

作品の中には、権力におもねっているものも多い。医者が考えるところの理想的な患者になって書かれた作品である。その中には、Insanity – Its Causes and Cure と題して、自分の間違った生活と人格から精神病になったが、それを治してくれたすばらしい精神病院の院長をたたえるものもある。この作品は、American Journal of Psychiatry に転載されたという。

しかし、作品の多くに、より複雑な力学を読み取ることができる。そもそも、患者たちが施設の中の生活を理想化することが、妙な話である。さまざまな危険と病理に満ちた外界から隔絶された田園に築かれた秩序と合理性と人間らしさを取り戻す場としての精神病院をたたえるのは、精神病院のレトリックそのものであるし、当時のエリート文学者の作品も、このラインで構築されていた。しかし、その理想に従いすぎることは、患者を「正常な」市民生活に戻すという精神病院の中心的な機能を疑問に付すことであった。患者は、自分たちが自由を失ったことを言祝いで歌い、監禁収容を自由への道であるとみなす作品を作っていたのである。

トリヴィアをひとつ。アメリカの精神病患者の境遇改善の旗手で「フィランソロピスト」として名高いドロセア・ディックスという女性がいる。森有礼を通じて日本の精神医療行政にも影響を与えたといわれている。そのディックスがNY州の精神病院にいったときに、女性患者がphilanthropist という言葉を知らずに、どのような意味かと聞いたら、a lover of men であると教えられた。それを聞いた彼女、別の女性患者に、「そういうことなら、私たち女性はみんなフィランソロピストってことじゃない」といったという。アメリカ人が好きそうなジョークで、ネタっぽいけど。