三宅鉱一

必要があって、三宅鐄一の精神病学論文集を読む。文献は、三宅鐄一『精神病学余瀝』上・中(東京:金原商店、1935)。東大精神科での臨床講義で、比較的珍しい症例のデモンストレーションなどを中心に編まれたもの。性的倒錯の症例、デペルゾナリザチオン、薬物中毒、心因性の精神病、神経衰弱など、どちらかというとモダニズム系の精神病を症例を使って丁寧に説明している。古本がたくさん出回っているところを見ると、かなり売れたのだろうか。じっさい、学説上の説明も詳細であるだけでなく、症例が効果的に挟み込んであって、読んで楽しいように設計されている。性欲異常の講義のときには、三宅と患者の問答が、まるでお芝居の脚本のようにト書きつきで臨場感を持って描かれていた。この時の患者の一人は、8,9歳の少女に次々と性的な暴行を加えた16歳の少年であることと関係あるのかな。

面白い症例をひとつ。天から降って頭に宿ったといっている声と、患者の体から出たといっている声の二つに分かれてきて、両者の間で最初は勢力争いがあったが、後にある種の妥協ができた。その声は神の声のようでもあったけれども、のちにその言葉が下品になり、とうてい神の声とは受け取れぬようになったので、命令などをほったらかしておくようにしたが、私(本人)からの命令も聞かない。しかし、この声は私を「本体」と呼ぶようになり、本体は何を考えているんだろうとか、本体は上京したがっているけれどもひきとめようとか、悲観しているから唄を聞かせてあげようとか滑稽問答を聞かせてあげようとしてくれる。時々、本体は用事を忘れているようだといって思い出させてくれる。本体のためにこの声が歌ってくれる流行歌はたまらなく美しい声で、ラジオや蓄音機の比ではないというし、その滑稽問答はおもわず噴出して笑うほど愉快だという。これをまとめて「自分の心は少し浮いている。心が二つあるといった感じがする。本体の出張所があって、そこから声が聞えてくるような感じがする。」といっている。

病的性格、変質者について、「一人ひとりは常人と異ならぬごとく見えても、その種の人の多数を総合すると、常人と異なり、多くの点において病者に近い点が分かる」と書いていた。そうか、心理学・精神医学における統計的な発想というのは、この時代に、このように使われていたんだ。これは、ちょっと丁寧に追わないと。