「精神分裂病」の受容

必要があって、今でいうところの統合失調症にあたる「早発性痴呆」「分裂病」の用法について触れてある論文をチェックした。文献は、岡田靖雄「日本における早発癡呆―『(精神)分裂病』概念の受容」『日本医史学雑誌』42(1995)3-17.

2002年に日本精神神経学会は、当会はそのつもりはなかったのかもしれないが、ある意味での社会実験を始めた。schizophrenia の翻訳として、これまで「分裂病」という訳語が当てられていたのを「統合失調症」という言葉にしたのである。この用語変更は、医学的な理由というよりも「<分裂病>という言葉は人々の誤解を生み差別を助長しやすいから」という社会的な考慮の結果であった。病名を変更することで社会的な変化を起こそうとしているのである。これがどのような結果をもたらすか、いま世界中が注目している。

ちょうど100年くらい前に導入されたのが「早発性痴呆」であった。クレペリンは1890年代に、「早発性痴呆」の概念を形成し、90年代末に現在の形にした。ハイデルベルク大学のクレペリンのもとで学んでいた呉秀三は1901年に帰国し東京帝国大学の精神科の教授となり、「そううつ病」とならんで「早発性痴呆(デメンチア・プレコックス)」を最重要な柱とする精神医学の体系を日本に導入する。じつは、この過程とほぼ平行してヨーロッパではクレペリンの体系への批判があがっており、ときに「早発性」と「痴呆化」、すなわち不治の転帰を特徴とする「早発性痴呆」が、時として中年以降に発するケースや、治癒してしまう(妙な言い方だけど)ケースがあることが指摘されてきた。その先鋒がブロイラーであり、1911年には彼は「分裂病群」の概念を世に問うた。

1913年には三宅鐄一は、クレペリンの体系の欠点に触れ、現在は「シゾフレニー」が勢力を得ていると書いている。シゾフレニーの訳語については、そもそも「分裂」しているという意味と、それが疾病単位ではなくて「群」であるという考えからの命名であるから、日本でも1920年代には「分裂症」「乖離症」「分離症」などの語が用いられるようになっていた。「早発性痴呆」(分裂症)のような形で併記されることもあった。そして、30年代の後半に日本神経(精神)学会の「訳語統一委員会」により、30年代の末には「分裂病」に統合された。「症」と「病」の区別は、うるさくいえば分裂「症」だが、精神医学上の病名がすべて「症」であるのはばかげているということで「病」になったという。

トリヴィアをひとつ。ちなみに森鴎外の『舞姫』で主人公の恋人のエリスは発狂して悲劇的な最期を迎えるが、この発狂は不治の発狂でなくては物語にならない。鷗外は不治の精神病の病名を探して、1890年の最初に刊行のときには「ブリヨートジン」(Bloetsinn)としたが、クレペリンの早発性痴呆の下部分類として「パラノイア」が確定された後、単行本に刊行された『舞姫』では、「パラノイア」に改めているそうである。