イタリアのロボトミー

同じく新着雑誌から、イタリアの精神外科についての論文を読む。Kotowicz, Zbigniew, “Psychosurgery in Italy, 1936-39”, History of Psychiatry, 19(2008), 476-489. シンプルだけれども、重要な現象を国際比較から取り出してクリアな説明を与えた論文。

精神外科はポルトガルのモーニツが1935-36年に紹介した。このテクニックは各国に広がって、イギリスでは約1万5000人がこの手術を受けたと推定されている。イタリアで精神外科が行われたこと自体は特別なことではない。イタリアでユニークだったのは、それが急速に広まり、他の国にあったためらいと議論を欠いていたことである。他の国がおずおずと試し始めていた1939年には、イタリアではすでに何百件もの精神外科が行われ、その効果がインスリンや痙攣療法と比較されていた。酒の席での話なら、イタリア人はおっちょこちょいで脳天気だからとかいうオチをつけて冗談にして終わりだけれども、この論文は説得力がある説明をしている。それは、イタリアにおける精神医学と神経学の一体化という特徴である。20世紀の初頭、クレペリンの臨床観察を特権化する体系の登場とともに、19世紀の脳と神経の基盤を追い求めてきた精神医学は変質し、神経学と精神医学との分離が始まった。フロイトヤスパースなどに代表される精神分析と現象学が精神医学に影響を与えたことも、より直裁に身体的な神経学との乖離を促進していた。しかし、イタリアの精神医学はこの潮流に背を向けていた。イタリアの精神科医たちは、クレペリンですら過度に心理学的であり身体的な方向付けを欠如していると考えて拒絶していた。ムッソリーニ体制になると心理学への敵意は固定化し、それは「迷路のような神話」だと言われて教育のシステムから排除されていた。このように、イタリアの精神医学は強い神経学の色彩を持っており、ロボトミーというのは、精神医学の外からやってきたのではなく、その内部にうまくはまるイノヴェーションとみなされた。