神経衰弱というアイデンティティ

先日の論文をチェックしたときに、次に掲載されていたこの論文の内容が記憶になかった。きっと読まなかったんだと思う。それで読み出したらとても面白かった。文献は、Campbell, Brad, “The Making of ‘American’: Race and Nation in Neurasthenic Discourse”, History of Psychiatry, 18(2007), 157-178.

「神経衰弱」neurasthenia はニューヨークの医者のビアードが流行させた概念で、American Nervousness (1881)は広く読まれた。色々な側面を持っているが、大都市に現れた新しい職種の労働をするホワイトカラーが精神の過労で陥る病気である。20世紀の初頭に、精神分析の影響を受けた医者たちが、神経衰弱という診断はあいまいで病因論も間違っているとして攻撃したので、神経衰弱はヴィクトリア時代の病気で、モダニズムと精神分析の到来とともに診断としては衰退するものだというクロノロジーの理解が一般的であった。この論文は、それに対して、神経衰弱は、病気を通じてモダニズムのアメリカのアイデンティティを表現しようとした言説であって、そこにはモダニティの人種、国民主義、そして市民の政治学が凝縮されていると主張する。O. Henry だとか、William Taylor Marrs といった作家が、神経衰弱の患者を主人公にした作品を書いているそうだ。

私の仕事はイギリスにおけるハードな精神病とその治療・ケア・監禁の歴史だったから、神経衰弱や神経症についてはほとんど何も知らなかったしあまり興味がなかった。ところが、いま調べている日本のアーカイヴでは、ハードな精神病と神経衰弱が同居しているから、神経衰弱について調べなければならない。イギリスの19世紀の精神医学の歴史学者も州立のアサイラムばかり見ていると、そこに出ているのはハードな精神病ばかりだから、出てくる問題が限られてインスピレーションが枯渇すると思うのだけれども。