イギリスの精神科リハビリ

必要があって、イギリスの精神科リハビリの概説書を読む。文献は、ジェフ・シェパード『病院医療と精神科リハビリテーション』斉藤幹郎・野中猛訳(東京:星和書店、1993)常識的で、イギリスのカリカチュアといってもいいようなスタンスだけれども、日本の精神医療をめぐる悲壮感にくらべると、人をほっとさせるような洞察が多くて、その背後には、わりときちんとした概念化がある。

精神医療と精神保健の範囲を、一次的、二次的、三次的な障害にわけ、一次的障害(primary impairment)を内因性の精神医学的な症状と考えている。これは活発な症状で、診断と初期治療をもたらす。思考に影響を与える場合(分裂病)と情動に影響を与える場合(うつ、そううつ)がある。二次的な障害は、病気そのものというより病んでいるという事実から引き起こされる個人の反応である。精神病院に長く滞在していること自体が、インスティテューショナリズム(施設症などと訳している)をもたらす。病気の体験は恐怖と不安をかきたて、自信を失って引きこもりや無気力が現れたり、非現実的な目標にしがみつくことで現実に対処しようとしたりする。三次的な障害とは、家族関係にとぼしいこと、友人がいないこと、失業、貧困などの社会的障害であり、これらは一次・二次の障害の原因でもあり結果でもある。社会的関係の崩壊、就労への壁、スティグマなどが、病気の結果あらわれて、患者に不利に働く。

精神科リハビリテーションは、伝統的な医学の枠組みに容易には適合しない。病者役割(パーソンズ)、治療モデルの見方は、長期の精神病者に対しては深刻な危険をはらんでいる。より社会学的な理解が必要である。(パーソンズが社会学者であるのは皮肉である。)病者役割・治療モデルは、健康か病気かの二元論で、そのあいだの段階的なグラデーションを認めていない。

精神病院は、それ以外なにもしなかったとしても、少なくとも長期間のケアを提供していた。患者-家族の両者のための避難所・収容所を提供した。医学的治療をほどこした。

モーリス・シュヴァリエは「年をとることをどのようにお感じですか?」と聞かれて「とても良いわけではないけれども、代わりのものよりはそれを選ぶ」と答えた。地域ケアはそれと同じである。まったく完全というわけではないが、代わりのもの(長期収容型の精神病院)より望ましい。病院ケアが提供している医学的・社会的機能を理解しているが、地域の中にサービスが形成され、可能なかぎり病院の機能を肩代わりすれば、患者は苦しまないし利益を受ける。

施設におけるケアの質は複合物であり、それぞれの施設の「エトス」という概念と似ている。風土 (climate)といってもいい。そこで醸成されるケアの質は合成的なものであり、composite variable である。