『薮原検校』

必要があって、井上ひさしの戯曲『薮原検校』を読む。文献は、井上ひさし『新釈 遠野物語 薮原検校』(東京:新潮社、1981)

東北の各地には「座頭池」や「盲沼」のような不気味な名前がついた、暗緑色の腐れ水をたたえた沼がある。これらは座頭があやまって足をすべらせて落ちて溺れ死んだといういわれがあるが、真相は目明きたちの手で突き落とされたのである。かつて座頭たちは村を回って浄瑠璃を歌い、そのお礼に飯を恵んでもらうことになっていた。厳しい労働の中で村人たちは年に一度訪れて晴れやかな芸をする座頭たちを歓迎していた。しかし、飢饉で村人たち自身が食うものに困っている年には、例年のように芸をして食い物を要求する座頭は迷惑以外の何者でもなく、村人たちはいつものように村に来た座頭たちを沼に突き落として殺した。秋田藩では、海岸の難所で座頭を導く綱をわざと間違えて張り、座頭の一座がもろともに海に落ちるように仕組んだ。・・・という語りから始まる、盲の悪党である「杉の市」の一代記である。

杉の市は、父親が殺した盲のたたりで盲として生まれる。当時の盲人は身分制社会のなかで金の力で盲人たちの階級を上がっていって検校になると贅沢三昧で他の盲人から金をむしりとっていく生活ができたが、杉の市はある検校のために稼ぎを全て巻き上げられる経験をする。杉の市は長じて母とその愛人を殺し、自分の主人も殺す。主人は妻(お市)と杉の市が姦通していることを知っていたが、美声の杉の市は稼ぎになるから見てみぬふりをしていた。(妻と杉の市が主人の横で姦通する場面は、盲をだます話しを最も悪趣味で残忍な形に仕上げた毒があるパロディである。)杉の市は、その妻も殺して主人の金を奪い、人殺しを重ねながら江戸にきて薮原検校に弟子入りする。そこで薮原検校の金貸しの取立人となって、盲であることを悪辣な仕方で利用した卑劣な方法でのし上がっていく。彼の力で大金持ちになった主人も殺して、その跡継ぎにおさまって莫大な財産を相続したところ、お市に見つかる。杉の市はお市を殺したと思っていたが実は生きていて、彼女は梅毒に体中蝕まれながら江戸の町で乞食をしていた。お市の告白で奉行所に捉えられた杉の市は、同じ盲人で学者の塙保己一の進言でもっとも残忍な処刑をされる。

舞台をみたことはないが、脚本だけ読んでも傑作だと思う。田中裕子さんがお市を演じているDVDが出ているから、大学の図書館に入れてもらうように頼んでおいた。個人的な話をすると、晴眼者に辱められないように学問に打ち込んで大事をなしている塙保己一が、金のために悪事をなしていく杉の市に示した共感と、それと裏腹に自分自身に向けた残忍さは、冴え渡った刃のように心を深くえぐる迫力があった。