神経衰弱の「個人化」

必要があって神経衰弱の「個人化」を論じた論文を読む。文献は、Schuster, David G., “Personalizing Illness and Modernity: S. Weir Mitchell, Literary Women and Neurasthenia”, Bulletin of the History of Medicine, 79(2005), 695-722.

神経衰弱という診断と女性についての関係を象徴してきたのはフィラデルフィアを代表する医者であったウィア=ミッチェルと文人女性のシャーロット・パーキンス・ギルマンである。私は史実の詳細は知らないが、ギルマンの『黄色い壁紙』は、精神科医の療法(「レスト・キュア」の絶対安静、書くことも含めたすべての知的活動の禁止)に追い詰められた女性の深い恐怖感がにじみ出ている。ギルマンの治療の失敗をもとにして、ウィア=ミッチェルはフェミニズムの敵として理解され、19世紀末の女性の解放に対して対立的な精神医学というモデルが作られた。

この論文は、色々と面白いことを言っているけれども、ウィア=ミチェルを<ギルマン以外の患者から>理解しようとしたことがオリジナリティの第一のポイントである。ミッチェルの患者であった二人の知的な女性で、治療が成功したケースを拾ってきたというのがリサーチのキモである。もうひとつのポイントは「成功したケースもある」というトリヴィアルな主張ではなくて、神経衰弱という診断に対して、患者はその治療を「個人化」することができたという議論である。この「個人化」という概念は、きっと面白い使い方ができるものだと思う。神経衰弱の病因論は、当時の文明の潮流に対してどのようなスタンスを取るかという、個人のライフスタイルと人生の信念についての議論を含んでいたので、その治療は、それぞれの患者が個人の人生の文脈に組み込むものであった。その中で、個人化されて治療は大きく変動するものになった。その例を二つ挙げている。一人は、ウィア=ミッチェルの保守的な女性像に反してリベラルでアクティヴな女性の生き方をして神経衰弱を治し、もう一人は、「余暇」という新しいライフスタイルを導入して過酷な家庭婦人の人生に潤いを与えた。どちらも、神経衰弱の診断をばねにして、社会と個人の望ましいバランスの形を作り上げたこと、そしてそのバランスの形は、それぞれの個人によって違ったということになるだろう。