村上陽一郎『日本人と近代科学』

必要があって、学生時代に読んだ本を引っ張り出して、日本の進化論について勉強しなおす。文献は、村上陽一郎『日本人と近代科学』(東京:新曜社、1980)

日本の進化論については、欧米の進化論が経験したようなキリスト教徒の闘争がなかったこと、ハードな生物学の理論というより、ダーウィン自身は禁欲した人間社会に適用できる社会哲学として移入されたことなどが、我々が常識的に知っていることである。この書物で著者が書いていた面白いことは、ダーウィニズムの基本原理である「適者」の概念は、生存者ということからしか定義できないということ、そのため、その定義をどこから持ってきてもかまわないという任意性を持っているということである。ダーウィン自身はできる限り多くの例証をあつめることで、他の誰よりもこの欠陥を克服していた。しかし、彼の後継者たちは、不十分な根拠から人間とその社会の問題に移し変えることで、一般化された「適者」から都合がいい特徴を好き勝手に取り出し、それをダーウィニズムの問題として論じるという陥し穴に落ちた。さらに悪いことに、これは自然科学とは完全に無関係な議論になったにもかかわらず、自然科学の理論がもつある種の知的権威を与えることができた。加藤弘之が、自由民権の思想から離れて『人権新説』(1882)をあらわし、人間界の優勝劣敗の原理から平等な人権を否定したことは、このダーウィニズムの落とし穴に加藤(と明治期の日本)がはまってしまったことを象徴している。(98-146)