香山リカ『「私はうつ』と言いたがる人たち』

必要があって、香山リカの最近の新書を読む。文献は、香山リカ『「私はうつ』と言いたがる人たち』(東京:PHP選書、2008)

著者は著名な評論家で精神科医。褒貶相半ばする書き手だけれども、私は、尊敬している精神科医から「彼女は実は頭が良くて出来る人ですよ」と聞いて以来、著者は頭が良い人だと思うことにしている。この書物には、その思い込みを深める筆の冴えこそあれ、それを否定しなければならない材料は見当たらなかったし、全体に面白く読んだ。ただ、自分の診療とミクシィとブログから好都合な素材を拾ってきて日本社会について印象論的な議論をする本書のスタイルは、もともと話半分ですといわれればそれまでだけど、精神科医に対する世間の信頼と評価を下げ、精神科医のイメージを下げる働きしか持たないという内容の、時折聞こえてくる著者に対する批判は、的確であるといわなければならない。

議論のコアは、メディアによる精神医学リテラシーと患者の無意識が疾病利得をもとめる行動が組み合わさって、「私はうつ」といいたがる人が増えており、現在の精神医学の診断体系が、このタイプの「自称うつ」を鑑別診断するのに無力であり、場合によってはそれを助長している、という流れである。

「そのツラさは病気です」的なメディアによる医学リテラシーの向上は、潜在的には病気である状態に気づかせ、正しい理解と受診と治療のプロセスに持っていこうという動きであり、現在の日本だけでなく、近代社会に広範に見られる現象で、私たちが「医学化」と呼んでいるものである。その中でも、うつ病は常連である。精神医学リテラシーを高める書物が出るたびに「○○を見たのですが」といって患者がやってくる。メディアが与えたリテラシーは患者によってさまざまな用途に使われる。現在の自分が置かれている不満な状況を「うつ病のせいにする」ためのモチーフにもなるし、「治癒恐怖」に似たメカニズムで患者のアインデンティティに取り込まれ、「平凡恐怖」からマイナス要素で注目を集める小道具となっている。このように使われている「うつ」は「患者」たちの間では精神疾患ではない。これは著者の言葉ではないが、まるで市場で購入される商品のように診断を求めるようになってきた。精神科の診断がDSM-III以降、原因を捨象して症状のみに着目していることも、この「うつ」の乱用を助長している。原因を適切に医学的に判断してうつを鑑別的に診断する視座を精神科医たちが失ったのである。