乳児死亡という指標の形成

必要があって、乳児死亡という指標に与えられた意味の形成を取り扱った論文を読む。文献は、Condran, Gretchen A. and Jennifer Murphy, “Defining and Managing Infant Mortality: a Case of Philadelphia 1870-1920”, Social Science History, 34(2008), 473-513.

現在でも乳児死亡率は、社会の goodness の指標として使われ続けている。単に乳児の健康ではなく、社会の福祉一般、政治システムの公正さ、公共政策の効果、社会において富める者の慈善などを測る指標になっている。これは、19世紀の後半から乳児死亡という指標に込められた意味であったが、興味深いことに、同じ時期には、死亡をある病原体によるものとしてより狭く定義する仕方が広まっているのである。社会における広範囲の価値を測定する指標の開発と、特定の病気を測定する指標の開発と利用が同時に進行していたのである。

この時期の乳児死亡率の計算方法は不安定で、何を何で割ればいいのかまちまちであった。乳児の死亡の一大原因であった下痢については病原体を特定することができなかった。

データの収集とその操作・計算は、社会問題をフレイムし、それに対する対策を正当化するうえで必須のことになっていた。計算され、利用された統計は「何が問題で、何をするべきか」という当時の価値観を反映していると同時に、それを強化する仕掛けであった。

特定の疾患の死因が広まる中で、広範囲の価値を測定するものとしての指標が開発されたという洞察は素晴らしい。日本でまず開発され利用された健康指標はコレラなどの感染症の死者数患者数であり、乳児死亡の指標の利用は、大げさに言うと、それから半世紀かかった。