19世紀のカニング・マン

19世紀のカニング・マンの医学的な側面を描いた論文を読む。文献は、Davies, Owen, “Cunning-Folk in the Medical Market-Place during the Nineteenth Century”, Medical History, 43(1999), 55-73.

19世紀は医療を国家が規制して「正規の医療」という概念が現れたと同時に、「非正規の医療」が自覚的に行われるようになった時代だから、非正規の医療は研究されてきたが、これまで「カニング・マン」は研究されてこなかった。カニング・マンは、占いや失くし物探しや恋の成就など、魔法を使って色々なことをしてくれる人物で、それが魔法に由来する場合には病気を治すこともできた。このカニング・マンたちは、医業はその仕事の一部であったし、「クアック」のように巡回したり派手で誇大な広告をすることが少なかったから、正規の医師たちにとってあまり可視的な敵にならなかった。しかし、実際に19世紀にカニング・マンが訴えられて有罪となった裁判の新聞記事などがたくさんあり、それらを用いて研究することができる。

カニング・マンの強みは、病気が魔法によるものである場合には、その治療を独占していたことであった。その意味で、人々が魔法を信じているかぎりカニング・マンの客はなくならない。より正確に言うと、通常の方法でなかなか病気が治らないときに、これは魔法のせいではないだろうか、魔法を試してみたらよくなるかもしれないと思うことがなくならないかぎり、カニング・マンの商売は成り立つことになる。そして、この時期(19世紀後半)に、カニング・マンたちは、「最後の頼みとしての超自然的な方法」として利用されており、裁判記録にはそれまでに何人もの正規・非正規も含めて自然的な方法を試したが効果がなかった病人たちがカニング・マンにかかったことが記されている。

ここから、この著者は面白いことを書いている。医療市場が成熟すれば、カニング・マンの客は少なくなるはずであるというのだ。これは、少し補って考えると、ある個人がかかることができる、正規・非世紀を含めて自然的な方法の医療者のリストが長くなると、その長いリストのどこかで「納得する」治療者に出会う可能性が高くなるから、カニング・マンに至るまえにドロップアウトするということになるだろう。だから、迷信への信仰の核が変容しなくても、市場が成熟すれば、カニング・マンの客は減ることになる。

正しいかどうかは分からないが、アイデアとしては面白いから、この説明装置は憶えておこう。