ジェンナー以前

ジェンナーの牛痘以前にイングランドを中心に人痘接種を大々的に行って国際ビジネスにしたサットン一族についての論文を読む。これまで何度も引用されているのをみたが読むのはこれが初めて。文献は、Zwanenberg, David van, “The Suttons and the Business of Inoculation”, Medical History, 22(1978), 71-82.

サフォークの医者であるロバート・サットンと6人の息子は、18世紀後半に人痘接種のベンチャービジネスで大成功した。1798年に出版されたジェンナーの牛痘接種に取って代わられ、1840年には非合法になったため、これまでよく分かっていなかったが、それを当時の記述を総合して再構成したすぐれた研究である。

1721年に、トルコ滞在から帰国したモンタギュー夫人が自分の娘に人痘を接種し、翌年に受刑者に人体実験したあとで二人の皇女に接種されたのがイギリスの人痘接種のはじめである。その後はなかなか伸びなかったが、1750年代の後半には、サフォークのサットンがビジネスをはじめる。それは、接種して一ヶ月程度滞在する家付きの接種所を中心にするもので、一ヶ月滞在すると7ポンド7シリング(農夫は5ポンド5シリング)という高価なものであった。宿泊がないと10シリング6ペンスであった。1759年にはすぐに三軒の家で展開するようになり、1760年にはライバルが現れて値下げをしている。1762年には、切り込みをほとんど入れないような新しいテクニックを開発してさらにビジネスをひろげ、息子が別の街に種痘所を開く。一族のメンバーはイギリス各所に種痘所を展開し、ウィーンやブリュッセルからも問い合わせがあった。1788年にサットン父が死んだときには6人の息子のうち一人はサフォークで開業していたが、残りはロンドンに二人、オクスフォード、パリ、ボルドーに一人ずつと、国際的な展開をしていた。