女学校と女学生


必要があって、戦前の女学校と女学生についての新書を読む。文献は、稲垣恭子『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』(東京:中公新書、2007)少し前に読んだミッションスクールの研究のような知的冒険心はないけれども、深く広い学識に基づいて基本的なことを丁寧にわかりやすく書いた、新書の鑑のような書物である。

高等女学校への進学率は1920-35年には15%、45年には25%であった。そのあとの女子高等師範や女子専門学校への進学は1%に満たないから、実質、これが中流以上の女子にとって最後の学校であり、受験勉強がなかったので、そこでは女学生たちは青春を謳歌することができた。「制度化された思春期」を与えたのである。また、その後の人生についても、就職することには女学生たちは否定的で、「いわゆる先生タイプ、オールドミスタイプ」の女教師になることをいやがる一方で、結婚については「平凡な結婚」という形で、着物を着て、夫の世話を焼き続ける人生が待っていると考えており、胸ときめくような大きな期待を抱いてはいなかった。つまり、女学校は、人生で最後の楽しく過ごせる黄金時代として捉えられていた。この期待は、女学校に活気と息吹を吹き込むことになり、独特の「女学校文化」が形成された。一方で、女学校の大衆化は、彼女たちの文化を、教養ある女性の属性というよりも、軽薄な知であるというイメージを作り出していった。

図表は本書より。ちょっと表示が見にくいけれども、好きな科目は圧倒的に国語で、嫌いな科目は体操と裁縫。