ドイツの性病病院

初期近代のドイツにおける性病病院の歴史を研究した論文を読む。文献は、Juette, Robert, “Syphilis and Confinement: Hospitals in Early Modern Germany”, Norbert Finzsh and Robert Juette eds., Institutions of Confinement: Hospitals, Asylums and Prisons in Western Europe and North America, 1500-1950 (Cambridge: Cambridge University Press, 1996), 97-116.

1495年にナポリを攻囲していたフランス軍において新しい病気の爆発的な流行があったのが、ヨーロッパで梅毒が確認された最初の事例であるとされる。傭兵部隊の解散と移動に伴って梅毒は速やかに全ヨーロッパに広まり、翌1496年にはドイツ語圏の各都市で「新しい病気があらわれた」という報告が相次いだ。

この病気の流行に対して、この論文が確認しただけでも20以上の都市で貧しい梅毒患者のための病院が建設されている。これらの病院は市の中心から外れた場所に作られていたが、ペスト病院やらい病院と違って、市の外に建てられていたわけではない。(たぶん、この点はとても重要であろう。)また、そこでは医療の役割が強調されており、貧しいものが慢性の伝染病にかかったときに、それに対して治療をほどこすことができる仕組みが最も早く作られた例であった。

性病患者と浮浪者と犯罪者が混合収容されて「大いなる閉じ込めをされていた」という半世紀前のフーコーの考え方は、少なくともその額面のままで受け取る医学史研究者は一人もいない。性病のインパクトは、もちろん道徳と結びつけて病気を捉える態度を形成したということもあるが、公的・私的な医療への需要を高めたということのほうが重要だろう。