デュシャンとモダニズム

必要があって、マルセル・デュシャンの作品批評を通じてモダニズムの文化と社会を論じた書物に目を通す。文献は、Seigel, Jerrold, The Private Worlds of Marcel Duchamp: Desire, Liberation, and the Self in Modern Culture (Berkeley: University of California Press, 1995).

美術史の書物ではなく文化史の書物である。デュシャンたちが生きた19世紀末から20世紀中葉の世界が抱えていた矛盾を表現しようとしたものしてデュシャンの作品を解釈しようとしている。このプロジェクト自体が、社会的な結びつきと人格的統一から自らを解放しようとしたデュシャンの考えに矛盾するわけだが、その「解放」自体が歴史的・社会的に位置づけられるというスタンスをとる。

断片のメモ。たとえば大都市の無名性。ボードレールは、大都市の無名性は、伝統的な関係から切り離された個人が、現実の人間との付き合いではなくて、主観的な想像力を用いて成長することを可能にし、またそれを要求する、という。そのためファンタジーは以前よりもはるかに重要な役割を帯び、大きな期待をかけられると同時に、その高みから滑り落ちたときには人は「憂鬱」(スプリーン)に陥る。

現代技術の「運動」について。蒸気機関車や自動車だけでなく、精神も運動している。(それゆえベルクソンは人々の心を捉えた。)内的な精神の創造的な運動性は、外界についての機械的なテクノロジーへの好意と両立していた。安定した形は、それを壊そうとしている力と常に出会う。性は、固定性をうがつエネルギーの資源であった。花嫁は処女性の極致である。彼女が失おうとしているものの、最後で最高のフェイズである。