ぜんそく薬としてのタバコ

新着雑誌から。ぜんそく薬としてのタバコの歴史をたどった論文を読む。文献は、Jackson, Mark, “’Divine Stramonium’: the Rise and Fall of Smoking for Athma”, Medical History, 54(2010), 171-194.

ぜんそくで苦しんでいたプルーストが、ストラモニウム (シロバナヨウシュチョウセンアサガオ)をパイプで吸ったエピソードから始めて、タバコの歴史について現在のオーソドックスなヒストリオグラフィとは違ったものを提示した論文。タバコの歴史は、タバコに対して明確に否定的な見解を持つ歴史学者たちが、その見解を前面に出したうえで、タバコの禁止に大きくかじを切った現在の政策に有益な視点をさぐる、現在主義的な視点で描かれている。この論文は、それとは少し角度を変えて、特に19世紀にインドからもたらされて、ぜんそくの薬として医者たちによっても処方されて盛んに使われた「火をつけて吸引する」方式の薬を吟味している。タバコそのものも使われたし、ダチュラ系の植物の葉やロベリアの一部なども単独で、あるいはタバコに混ぜて用いられた。医療用のタバコ系の使用も、「リクリエーショナルな」喫煙 - タバコに限らず、他のサイコアクティヴな作用をもつものを吸引すること - と同じ時期に、相互に依存しながら進展したのである。話の方向としては、リクリエーショナルな薬物の利用とメディカルな利用を峻別することは、現在の薬物への厳罰主義やタバコへの敵視の風潮には合っているが、歴史の実態には合わない、かつては、薬物の喫煙は、医学的に有用なものであり、一方で、医学的な喫煙は、商業的な喫煙の流行を背景に進展したのだから、という洞察に落としている。

私が知らなかった史実だし、意外な論点の立て方で面白かった。日本の戦前のコカインやモルヒネ中毒においても、中毒者の多くは医者であるし、リクリエーショナルな薬物の利用とメディカルな薬物の利用は、現在から見えるほどは大きくなかったということだろう。